「イエスは言われた。『あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人に入って来るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。それは人の心に入るのではなく、腹に入り、そして外に出されるのだ。』このようにイエスは、すべての食べ物を清いものとし、さらに言われた。『人から出て来るもの、これが人を汚す。」(マルコによる福音書7章18-20)
(前編から続く)
ただ、本当にそれだけか、という問いもあります
ユダヤ人のルーツは、ヒツジと共に移動生活する、半遊牧民
イスラム教の最初の担い手であるアラビア人は、
ラクダと共にある、遊牧民です
ブタ(クジラ偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシの亜種)は、
人に従順で飼い易い、
雑食かつ成長が早く、食糧として効率的、
群れる本能があり多頭飼いができる、
といった利点が多く、
都市部の高い人口密度を支えることのできる、
優れた家畜です
しかしそのことが逆に働き、
ヒトと共通の寄生虫,病原微生物•ウィルスが、
非常に多く存在します
その上、ヒトと濃厚接触する環境のため、
両種の間で感染を繰返す間に、
常に新しく重篤な病原体が、
遺伝子が変異することにより、出現しています
そのため、飼育法,調理•保存法に習熟しなければ、
多くの人々が、深刻な健康被害を受けます
都市を離れて生きる人々が、最初は、
子孫に対し、魅力的ながら危険なブタに、
知識•技術のないまま近付かないよう、
宗教的タブーとして伝えたことは、十分合理的な判断といえます
それは例えば、世界各地で共通として、
水害の多い地域が、竜や水神の祟りのある地として、
タブーの対象として、一定の条件の場所について、
住所とすることを避けたことと同じです
出発点ではそれなりに合理的な意味があったのです
しかし、その本来の意味が忘れられ、
ただ機械的に人を支配するタブーなることで、
生活環境が変わった後も、
非合理的に人々をしばるというタブーのありかたが、
多く見られることもまた、同じです
かつて属したある研究室に、
エジプト人の、それもイスラム教徒と、
キリスト(コプト)教徒がいたことがあります
その時、図らずも両名から、
ブタを食べるというのは、
ヒトの死体を食べるのと同じように感じる、
と話すのを聞いたことがあります
一方、キリスト教は成立早期から、
地中海周辺の都市部を中心に広がりました
ブタを避け、都市生活を否定する教えで、
生活を縛るのは、生きていくのに、不都合な上、
ブタ肉食の文化が行き渡っている地中海文化圏では、
伝道の大きな障害になります
新約聖書には、旧約聖書の食物規定を、
事実上否定し、方針転換した記述があります
これもまた、食文化があればこその、
判断だったのでしょう
とは言え、今の時代において、
イスラム教徒が優勢な中東では、
それなりにいるキリスト教徒も、
しばしばブタ肉を嫌うという記述を目にします
「気持ち悪いから仕方ない」という文化なのでしょう
以前この文章で書いたように、私たち、日本に住む者も、
気持ちとしては、ある意味同じかと思います
夏目漱石『吾輩は猫である』(1905)の冒頭
「この書生というのは時々我々を捕つかまえて煮にて食うという話である。」
(青空文庫版)という文章があります
江戸時代、日本人はイヌもネコも、日常的に、
ある程度食べるものという文化だったのですが、
明治期に「脱亜入欧」のスローガンのもと、
欧米列強では廃れて久しい野蛮な風習として、
食べることを抑える世間の空気が主流になっていき、
夏目漱石が、ネコ食を当たり前として書き、
ベストセラーとなるほど読んだ当時の日本人が、
当たり前として受入れていた時から、
そのほんの数十年後までには、
イヌ•ネコを食べる文化は、すっかり廃れました
今、大部分の日本人は、ネコの調理風景を見たら、
「気持ち悪い」と感じるでしょう
中東に生きる人にとってのブタ料理も、
同じヒト同士の、同じ感情として、理解すべきものと思われます
(後編に続く)(2019.9→2024.8大幅改稿)
