このところ、しんどいことが続いたのですが、

ちょっと良いことで、

徳島県鳴門を訪れてきました

 

高速バスの、高速鳴門バス停は、

麓から20mの高さですが、

移動には、無人自動運行の無料モノレール「すろっぴー」があり、

ゆっくりながら、登山鉄道並みの斜面を楽しく登れます

さらに言えば、上りバス停は、

上り電停の奥の、地下道で行かねばならず、

もし、すろっぴーに乗らなければ、

迷って、バス発車に遅れたかもしれません

全国でも珍しい、思わぬ経験でした

 

その鳴門での場所は、

鳴門中心街から北にある、旧北灘村に当たる地域でした

瀬戸内海、播磨灘に面し、

西側は、香川県旧引田町(現,東かがわ市)に接しています

 

これらの地域は、

水産業では、県境を越え、有名な地です

「北灘ブリ(スダチぶり)」「ひけた鰤」が、

全国的にも、生産量と、何より味で、

有名なのです

 

西の引田町は2003年に、合併により消滅しましたが、

それまで、日本のブリ(ハマチ)養殖の発祥地、

1949年以来の、漁協主導の組織的養殖経営の先進地として、

名を馳せました

 

また鳴門市北灘町も、旧引田町と同じ海洋状況のもとでの、

ブリ養殖が発展し、

近年は、日本一(漁協当たり)の養殖ブリ産地として、

美味しいブランドブリを生産しています

 

ブリ(アジ類(スズキ目から独立可能性大)アジ科ブリモドキ亜科ブリ属)は、

最近でこそ、マグロ類並みの脂を持つ青魚として、

回転寿司でも人気ですが、

戦後、養殖漁業が始まった時代は、

むしろあっさり目の若魚の方が、

消費者には好まれていました

 

そのため、ブリ養殖は、当初、

瀬戸内海での出世魚ブリの、若魚の方言である、

ハマチ養殖の名で始まりました

今でも全国で、

体長6-80㎝以下の養殖ブリを、

ハマチと呼んでいるのは、

引田,北灘での呼び名が由来となっています

 

その後、80㎝以上に成長し、

豊富な餌により脂肪をたっぷり蓄えたブリが、

養殖の主役にとって代わりました

かつては80㎝以上の養殖魚も、

地方によってはハマチと呼んでいたこともあったようですが、

現在は、おそらく回転寿司の普及により、

全国等しく、ブリ,養殖ブリと呼ぶようです

 

そのハマチ,ブリ養殖を牽引してきたのは、

四国北東岸といっても良いでしょう

この地域含む播磨灘は、

かつては富栄養化により、

夏場に度々赤潮が発生し、

ハマチ養殖も大被害を受けました

しかし近年は水質が改善し、

海水温の高温化や、藻場,自然海岸の減少にもかかわらず、

赤潮発生は減り、養殖への被害は減っています

(イカナゴ大不漁との引換えの面は否めませんが…)

両ブランドブリの人気は、不動でしょう

 

今回、鳴門市北灘を初めて訪れ、

レストランの食事では、ブリはほんの1切れでしたが、

長い海岸線が続く中、

養殖生け簀や、漁港の風景を見ながら、

ここが日本の海面養殖のルーツの地かと、

感慨を持ちました

 

沿線道路沿いには、

もしかしたら水産業の盛んな東四国中でも、

一番人気があるかもしれない、

海鮮料理店もあります

次があれば、魚を堪能する機会も、

持つことが出来ればと思っています(2024.2)