今年の朝ドラは人気と聞きます
かく言う私も楽しく見ています
多分三陸と東日本大震災を描いた、「あまちゃん」以来です
その今の中で、生物学が専門でない友人から、
しばしば質問されるのが、
「学名」とは何ぞや、です
ラテン語という死言語があります
ローマ帝国を築いた古代ローマにいたラテン人、
今はない民族の母語が、ラテン語です
グレゴリア聖歌やミサ曲をはじめ、
宗教音楽から続く西洋音楽に触れる人は、
絶対に関わる機会のある言葉です
ただ、「小羊」を本来「アグヌス」と発音すべきなのに、
「アニュス」と発音することをはじめ楽曲でしばしば、
近世以来のイタリア語訛りであることは、
非キリスト教文化圏であるからこそ、
あえて知っていて良い知識です(蛇足)
あるいは、明治維新以来、
日本語のアルファベット表記について、
活動した米国プロテスタントミッションが、
日本語の表記を母語の英語の偏った発音でなく、
ラテン語(+W字付き)の発音に準拠したことは、
日本の伝統文化保存を筆頭に、
国際交流に役割を担う、
大きな力になったと思います
ラテン語がローマ帝国の公用語となって以来、
母語として使う民族がいなくなって後も、
古代近世を通じてラテン語は、
西洋文明での共通語、
宗教や学問の「書き言葉」として使われ続けました
ルネッサンス期から発達した自然科学も、
ほぼ19世紀まで学術論文は、
ラテン語(+W付き)で書くのが国際標準でした
今でも多くの学術用語は、
ラテン語(+W付き)の名称が用いられていますが、
中でも大きな関わりを持つひとつが、
生物の学名なのです
生物学は一応理系、自然科学ですが、
NaturalHistory自然史という言葉もあるように、
歴史科学という側面も備えています
人間の歴史に、過去に巻戻しての再現がないように、
生物進化でも、過去の「if」を叶える、
再現実験は不可能です
生物学は19世紀チャールズ・ダーウィンの貢献が、
計知れないほど大きいことは間違いありません
しかしその1世紀前、
スウェーデン植物学者、カール・フォン・リンネの、
「学名」の提唱が、学術論議の土台を備えたこと
例えば和名「セキトリイワシ」という生物種を、
今のように簡単に早く情報交換できない、
世界中の研究者がラテン語表記に厳密に則った、
「Rouleina squamilatera Alcock,1898
(属名⁺種小名⁺論文記載者名⁺発表年)」で、
間違いなく同じ生物種と認識して、
世界中で同じ地平で学術論争をする、
舞台が出来ているから、こそなのです
学名には厳密な「先取権」という法則があります
面倒臭い規約は省きますが、
国際学会が定めた規則
1日でも先に学術誌が受理したか、
あるいは体裁を整えた学術論文で発表した、
最初の学名が世界中で、
どのような強大な王権も宗教権威も排除する、
その生物種の本当の名前と定める、
今に至る世界が認める唯一のルールとされました
(後に精査の上新種でなければ、シノニム(異名)として、
記録上残す仕組みも備えての上です)
「博物学」新発見が、流行最先端だった時代の話です
その不思議かつ、革命的だったことは、
本当に極論すれば、例え中高生の出す「うすい本」ですら、
リンネ学会の定めた(簡単ではないですが)規定に、
合格すれば、学名として世界に認められる仕組みです
この規定を支える、「模式標本」は、
後日改めて、書ければ幸いです
今回は一応それを除き、
「学名」がなぜラテン語(+W付き)なのかの話の中です
本当に単純に、リンネの時代では、
みなが当たり前に、世界中の誰かと、
自分の新発見を共有するためには、
ラテン語で伝える他はなかったからです
しかし自然科学の大部分では、
例えば20世紀の計算機理論を再検討しなくとも、
最新のコンピュータ理論で勝負できるように、
過去の論文は遺物となりました
しかし例外の1つとして、
生物学は、時に200年も前のラテン語等の論文の、
新種記載の再検討が不可欠なのです
今時、古臭い、過去の遺物との取組みです
でも私は、例えば、
ラテン語ももちろん習熟していた牧野富太郎が、
いにしえの植物学者に思いを馳せたように、
今を生きる私たちや、次の世代のため、
私たちが歴史から何を学ぶかの、
「基礎学問」が必要と思うのです(2023.7)