ライパー、スプリッター
大多数の方々には、
聞いたこともない用語であるはずで、
言葉の説明から入らせていただきます
ライパー=「合わせ屋」,スプリッター=「分け屋」
一応このようなニュアンスです
研究室の、魚類系統分類を専門とする先輩が、
海外の同業ライバルと論争し、
互いの立ち位置を確認する中で、
言い合っていた表現です
これは、生物種同士の遺伝的な遠近を測るため、
遺伝子や生化学の検査が指標として、
確立される前
主に形態の比較に、
分類学が重きを置いていた時代の話です
全ての生物種には、ある程度の形態の多様性があり、
それはすぐお隣の、
近接した別種(?)の多様性とも時に重なり合います
その境をうまく「区切る」ため、
先輩たちは互いにしのぎを削っていたのです
1つの分類群の中を、どのように、
リヴィジョン=「再検討・再配置」するか
スプリッターの先輩と、
ライパーのライバルが、
論文を出し合う形で論争していました
研究論文を贈られれば、
謝辞の手紙に、「分厚い枕ありがとう」等々、
元気に世界的にケンカしていて、
正直、うらやましい限りでした
私が研究を離れて後(一応風の便りでは)、
スプリッター先輩が有力との評とか
おそらくそのような評価になって行くのは、
大きくは、進化生物学の、戦後の潮流の中での、
傾向が反映した必然かもしれません
スプリッターの区切り方は、
あくまで1つと1つの関係が、
分けられるか否か、に分け入って行き、
全体の中での傾向を、あまり問わないものです
一方、ライパーの区切り方は、
全体の傾向の軽重を考え、
どの特徴がグループ内で中心的か、で、
その考え方に従って、
違いを評価するものと、大きくは言えます
分岐分類学の項目の際に述べた話に少し追加すると、
何が中心、何が優先的
そのような考え方をセントラルドグマ=「中心的教条」
として拒否するというのは、
すぐ前に、ナチス・ドイツに協力・迎合して、
人間に優劣をつけることを許してしまった己が思想への反省
臍を噛むような後悔の上に立った、
ポストモダニズムの、
哲学を嚆矢として自然科学諸分野にまで至る、
価値観の大転換は、
ある意味、避けて通れないものでした
(勿論それに対する反動もあるわけです)
その上でいえば、一見の印象と逆に、
多くのモノを一緒に見る傾向が、実は排他的
多くのモノを別々として分ける方が、逆に包摂的
このような価値観の転換が、
ポストモダニズムの(全てではないけれど)、
提言と言えるでしょう
あえて現在の政治的な例に例えれば、
ロシア文化伝統の普遍性を訴えるロシア(政権)と、
ロシアとの決別を決意したウクライナ
この関係も、
前述の、人文・自然科学の、
純粋に学問的な問題とも通底すると感じています
さらにこの関係は、どうやら、
宗教や倫理の課題にもつながっているような…
「正統と異端」とは何かを考えると、
「異端」を飲込み、
糾合すべきと主張する「正統」とは何か
「あいつらは異端」「我ら正統にまつろわぬ奴らは異端」
どうやらそれだけしか、
「正統」の定義はないのでは、
ということです
(なお、破壊的カルト宗教は、教義が異端だから問題なのでなく、
その行為がいのちを損なう、許せないことなのです)
あくまで乱暴にまとめた私見です
でも私は、そう考えてしまうのです
そこまで話を進めて、
これも私見です
スプリッターになることと、
多様性を豊かさと受取ることは、
同じ地平かもしれない…(2023.5)
