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世界史オタク・水原杏樹のブログ

世界の史跡めぐりの旅行記中心のブログです。…のはずだったんですが、最近は観劇、展覧会などいろいろ。時々語学ネタも…?
現在の所海外旅行記は
2014年9月 フランス・ロワールの古城
2015年3月 旅順・大連
2015年8月 台北(宝塚観劇)
を書いています。

大阪倶楽部の館内特別見学とランチに行ってきました。

大阪倶楽部とは。

明治の文明開化で欧州視察に行って参考にした社交クラブがまず東京に設立されました。社交クラブとは紳士同士の交流のためのクラブです。
やや遅れて大正になって大阪でも大阪倶楽部が設立されました。当初の建物は火災で焼失し、そのすぐ後に新会館の建設が決定しました。設計中に関東大震災が起こったため、耐火耐震を重視して設計が変更され、1924年に出来上がったのがこの建物です。設計は安井武雄。
大阪大空襲でも焼夷弾による類焼を免れました。大阪瓦斯ビルや住友銀行本店も無事でしたが、共に鉄製の防火シャッターを備えていたためではないかと言われているそうです。

戦中には軍に接収され、戦後はGHQに接収されました。大阪倶楽部はその間個人宅や他のビルなどを転々として運営されていました。接収が解除された時、家具調度類は持って行かれたり壊されていたりしたので、現在見られる調度類は当時のものに似せて作り直されたものです。また建物内部もかなり荒らされており、寄付を募って復興改修工事が行われました。

1階と2階部分は会員専用スペースで、一般人は普段は入れません。今回は特別見学ということで全ての部屋を見せてもらえました。
1階は喫茶室、バースペース、撞球場(撞球場が備わっているのが社交クラブの条件の一つでした)、囲碁・将棋スペース。2階は図書室、談話室、食堂。


写真は集会室です。格子の部分は近年の修復で耐震補強のために鋳鉄製で作られたブロック壁です。建物の雰囲気を壊さないようにデザインされました。花の絵は寄贈された木版画の花のシリーズで、この部屋の柱に順番に掛かっています。
その他、壁には会員から寄贈された絵画が多数展示されています。その中には小磯良平の絵もありました。また、大原美術館の収集を担った画家の児島虎次郎の絵もありました。入江泰吉の写真、扁額などもあります。

階段には赤じゅうたんが敷かれています。途中ステンドグラスのはまった窓ガラスがありました。ここだけ建設当初のガラスだそうです。外側からも、ひときわ大きな立派な装飾窓になっていて、ステンドグラスの模様が見えます。

3階と4階はの集会室は一般人も申し込みをすれば使えます。特に4階の広間は大きくて、コンサートをしたり結婚式に使われたりしているそうです。

各部屋では梁がそれぞれ違うデザインで意匠を凝らしており、特に壁から梁を支えるハンチは部屋ごとに独特の装飾的なデザインが施されて注目ポイントになっています。

入り口の上部に「O」と「C」の文字を組み合わせた大阪倶楽部のマークがあることを教えてもらいました。エントランスには白と黒の市松模様の石が敷かれています。正面には魔よけの魔物が口から水を吐き出し、泉盤に流れます。魔物の目にはもともと翡翠がはめられていたのですが、GHQに持って行かれてしまいました。近年になって新しく翡翠をはめて復元されました。

ランチは大阪倶楽部の食堂特製のビーフカツレツでした。オードブルから豪華で、ビーフカツレツも食べごたえがありました。

デザートまでゆっくりくつろぎながら食事をすることができました。