「王様と私」 | 世界史オタク・水原杏樹のブログ

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2015年3月 旅順・大連
2015年8月 台北(宝塚観劇)
を書いています。

なんで今ごろ「王様と私」なのかと。西洋の東洋に対する偏見があるから好きじゃないし。
でもみりおちゃん(明日海りお)が出るなら見に行かないと…。

ということで、梅田芸術劇場で見てきました。

ブロードウェイの初演が1951年、映画が1956年。映画を見てもエキゾチックなだけのタイの描写で、そりゃタイの人たちは「違う!」と怒るだろうな。王様はいかにも「東洋の専制君主」という感じだし。モンクット王~チュラロンコン王はタイでは近代化を進めた王様として敬愛されているので、こんな風に書かれたらやっぱり怒るだろうな。なんでもタイには国王に対する「不敬罪」というものがあって、「王様と私」はそれに抵触するとかで、映画の上演も、舞台の上演も許されていない。

私が最初に見た舞台版は鳳蘭と松平健でした。上記の印象とあまり変わらない感じで、このミュージカルにいい印象は持てませんでした。

その次に見たのは一路真輝と高島政宏。この時、ずいぶん印象が変わっていました。もしやこの作品は演出次第で東洋に対する偏見の描写を薄めることができるのでは?と思いました。確かに、「パズルメント」というナンバーでは、王様は国を近代化に導くために悩んでいることが表現されています。しかも王様は初演のユル・ブリンナーでイメージが強かったスキンヘッドではなく髪がありました。
ここで私は「王様と私」はそれほど嫌いではなくなりました。あくまで「それほど」。

その後紫吹淳がやったらしいんですが見てません。王様はふたたび松平健…。見る気がしなかったのも無理はない。

そうして少し前にブロードウェイで久しぶりの上演が行われました。王様は渡辺謙。アンナはケリー・オハラ。
ブロードウェイまでは見に行けませんでしたが、WOWOWで放送してくれました。
そうしたら、全面リニューアル演出で、ブロードウェイなのに東洋への偏見がかなり薄まって割といい舞台に仕上がっていました。

で、今回演出は小林香で、これまた今の時代に合わせた新しい演出で上演するという。
でも結局は「王様と私」でしょ…。

と思ったのですが。

まず王様とアンナの関係性がとても新鮮でした。ふたりがなんだかとても打ち解けているんです。二人がそれぞれ意見を主張して譲らないようなところも、なんだかほほえましく感じられて、実際よく笑いが起きていました。

みりおちゃんはもともと見た目の雰囲気がゆるふわで優しいんですが、アンナもそういった優しい雰囲気で人当たりがよくて…しかし芯はしっかりしていて、自分が正しいと思うことに関しては毅然としています。みりおちゃんにピッタリです。

王様は北村一輝。ミュージカル初挑戦だそうで、オファーがあってからずっとボイストレーニングをしてきたらしい。とてもいい声です。そして威厳があります。近代化を目指す王様の苦悩も充分に表現していました。

今回演出にあたってスタッフはタイに行ったそうです。美術のプランもタイでヒントを得て作られました。

そしてこの作品で謎の「アンクル・トムの小屋」タイバージョンを上演する長い場面。タイの衣装でトムとかイライザとか作中の名前のまま物語が進み、さらにはみほとけとその使者が救いにやって来るというなかなかトンデモな展開。タプティムが最後に自己主張することに意義があるのかもしれませんが…。
でも今回はワシントンDCでタイ舞踊カンパニーを率いているスペシャリストのタイ人が振付に入ったということです。ダンサーはおおむねバレエの素養があるものですが、タイ舞踊は筋肉の使い方や鍛え方が全く違っていて、出演者はみんなダイ舞踊の動きを身に着けるべくがんばったそうです。
なので、今回の「アンクル・トムの小屋」の場面は動きなどがかなりタイらしい場面になっていた模様。

まあ、オペラ「蝶々夫人」でも、もともと日本のことをろくに知らないまま作られたオペラで、それでも日本人ががんばって衣装やセットなどの考証にたずさわって、少しでも本当の日本に近づけるよう努力するようになってきたわけですが、それでももとの内容に無理があるのでどうにも限界があります。
それと同じようなものじゃないかと思うんですけども。

この作品の限界は、結局はアンナという西洋人の目から見た東洋、という視点を変えられないことです。19世紀半ばのイギリス人がアジアの国にやってきて、全く違う習慣を見ていちいち驚く。一夫多妻であったり、王様が来ると床に「はいつくばって」礼をしたり、そういうい態度は当時の西洋人から見たらどうしても「東洋の遅れた習慣」と映ってしまう。王様には「東洋の専制君主」という先入観を持ってしまう。ミュージカルが上演された1951年という時代でもまだアメリカでは人種差別が根強く残っており、当時のアンナの視点を無条件に取り入れて、疑問にも思わなかったことでしょう。

とりあえず今回の演出は今まで見た中でも一番新鮮でした。配役もとても良かったです。王様とアンナの関係もですし、さらに印象的だったのはチャン王妃の立場が明確だったこと。第1夫人として、王太子の母として、王様を支え、アンナとのとりなしをして存在感を示しました。結局人間関係が納得できるように見えたということです。

また、プログラムには興味深いことが載っていました。
長らくカットされていた「Western People Funy」というナンバーが復活されていたことです。チャン王妃をを中心に「西洋人は変ね、西洋人は変ね」と繰り返し歌います。いつ使われ、いつから使われなくなっていたのかわかりませんが、こういった視点で作られたナンバーもあったということは、多少は現地から見た視点と西洋人の視点が違うことを盛り込む気持ちはあったということです。

しかしそれでも「なんで今さら「王様と私」を上演するの?」という疑問は消えませんでした。
タイには詳しくないので的確なツッコミはできませんけど、前に東博の「タイ」展に行ったことはあります。そこで見たタイと「王様と私」のタイはどうもつながりが感じられないので、「王様と私」のタイは西洋人のファンタジーの国なのかもしれません。


おまけ。東博の「タイ」展のブログ