「HHhH-プラハ、1942年」 | 世界史オタク・水原杏樹のブログ

世界史オタク・水原杏樹のブログ

世界の史跡めぐりの旅行記中心のブログです。…のはずですが、最近は観劇、展覧会などいろいろ。時々語学ネタも…?
現在の所海外旅行記は
2014年9月 フランス・ロワールの古城
2015年3月 旅順・大連
2015年8月 台北(宝塚観劇)
を書いています。

 

「HHhH-プラハ、1942年」
ローラン・ビネ:著 高橋啓:訳
創元文芸文庫

タイトルは「好きに読んで」らしい。とりあえず「エイチ・エイチ・エイチ・エイチ」と読むのが一番簡単だろう。
これは
"Himmlers Hirn heißt Heydrich"
(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)
という言葉の頭文字。
ヒムラー、ハイドリヒは固有名詞なので大文字。
「頭脳」は名詞なので、ドイツ語では名詞は全部大文字。

マイミクさんがオンライン読書会を開くということで参加しました。その時に取り上げる本だということで読みました。自力ではまず読みそうにない本です。

著者はフランス人で、兵役でフランス語教師としてスロヴァキアに行ったことがあります。プラハで1492年に起きたこの事件は父親から聞いたことがあったのですが、その後スロヴァキアやチェコでこの事件の足跡をたどることになります。

その事件とは、ナチスに征服されたチェコで、チェコ統治のために送られたナチスの総督が、モラヴィア人とスロヴァキア人によって暗殺された事件です。
(私は最近買ったミュシャの本で、チェコの中でもチェコとモラヴィアと言う区別があり、ミュシャはモラヴィア人だと知りました。)
で、第一次大戦後はチェコスロヴァキアは一つの共和国だったのですが、ナチスの後ろ盾の傀儡政権でスロヴァキアが独立、チェコはナチスの支配下に置かれました。その時ナチスから総督として送られたのがラインハルト・ハイドリヒ。

で、読み始めてすぐに面食らいました。
作者が自分がこの事件を調べる経緯がずーっと書かれているのです。現地で見たことや調べたこと。その中でハイドリヒの生い立ちが語られ、語られたかと思うと、こんな史料を見つけたとか、ハイドリヒが出て来る映画を見たとか、といったことを事細かに語り始めます。さらに、小説を書くにあたって、根拠のない会話を捏造する陳腐さを批判したり、いかにも小説的な文章を書くことに抵抗を感じたり、といったことをうだうだ語ったり…。

この本はフランスのゴンクール賞、日本の本屋大賞を取った本です。帯にそう書いてあります。ノンフィクションではなく「小説」のはずです。こんなに作者が自分の調べたことやそれに関する意見をえんえんと語るなんてどういうことだろうか…と思っているうちに、はたと思いつきました。

作者が自分が調べたことや思っていることを語っている…という構造自体がフィクションなのではないか?
当然、作者はこの事件についていろいろ調べているでしょうし、その経過も事実を反映していることでしょう。でもこれはあくまでも事実を反映した創作で、この本の中の「僕」は作者本人ではなくこの小説の登場人物なのでは?

最初はこの考えにクラクラしました。そんな小説ってある?
「ハイドリヒ暗殺事件を書くべくあれこれ調べる小説家」を書いた小説だと?

なんでこんなややこしいことをしたんだろう。
よほど「創作らしく見える小説」を書くのが陳腐で嫌だったのか。

でも途中までかなり読みにくかったです。なんでそんな賞を取ったんだろうと思うぐらい。ハイドリヒの経歴など「歴史的事実」は断片みたいにしか書かれないし。
暗殺計画が動き出してからようやく「物語」が動いていく感じになっていくのですが、それが物語ではなく事実を語っているように見える効果を与えるためでしょうか。
そうしていつのまにか1942年の事件を追っていく内容に集中するようになり、事件の顛末が語られる…。

読書会でいろいろな人の意見を聞いて、だんだんこの本がどうも「傑作」と言っていい本らしい、と言うことが納得してきました。暗殺現場の描写はすっかり「小説」になっているんじゃないか、とか。
また、暗殺後のチェコに対する弾圧のすさまじさなど、暗殺を実行するべきではなかったのではないか、など議論を交わせるのもおもしろいことでした。

でもやっぱりしんどい本でした。