「なにわ夫婦八景」 | 世界史オタク・水原杏樹のブログ

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世界の史跡めぐりの旅行記中心のブログです。…のはずですが、最近は観劇、展覧会などいろいろ。時々語学ネタも…?
現在の所海外旅行記は
2014年9月 フランス・ロワールの古城
2015年3月 旅順・大連
2015年8月 台北(宝塚観劇)
を書いています。

桂米朝五年祭
「喜劇・なにわ夫婦八景 米朝・絹子とおもろい弟子たち」

松竹座で上演中。見に行ってきました。

桂米朝の奥さん、絹子を中心に描かれた物語で、絹子を演じるのはマミさん(真琴つばさ)。

絹子は大店の跡取り娘でしたがOSSK(大阪松竹少女歌劇団:のちのOSK)の舞台を見て「入りたい!」と思い、親の反対を押し切って入団します。
幕開きはOSKの元トップスター、桜花昇ぼるが当時のスターの役で燕尾服で踊る場面から。絹子は「駒ひかる」という芸名で、いつかあんなふうに燕尾で踊りたいと思いながら走り使いのようなことをしています。

しかし戦争が始まってレビューの舞台は制限を受け、やがて慰問公演に…というのは、当時の宝塚と同じですね。
さらに空襲で大阪の主要な劇場は焼けてしまい、OSKの本拠地大劇(だいげき。大阪劇場を略してこう呼んでいた。千日前にあった劇場)も焼けてしまい、絹子は退団します。

戦後の復興期に絹子は「駒ひかるとミリオンショウ」というショーチームを作ります。さらにそれからピンになって活躍します。

一方米朝はまだ弟子入り前の中川清という大学生(筧利夫)。東京の大学に進みますが、寄席で落語や講談を見るのが好き。大阪と違って東京の寄席はとてもにぎわっているのでうらやましく思います。大阪ではエンタツ・アチャコの漫才が人気を集める一方落語はすっかり人気がなくなっていました。
そこで出会った評論家の正岡容(いるる)から上方落語を盛り上げなさいと励まされます。中川清はそのために評論家を目指そうとしていたのですが、笑福亭松鶴や桂米團治への紹介状を持たされて訪ねて行くことに。それが結局桂米團治に弟子入りすることになり、桂米朝の名前を与えられて落語家を目指すことになります。

正岡容(野田晋一)も桂米團治(桂ざこば)も破天荒な人物で、おとなしくてきまじめそうな中川清との対比が際立ちます。

そして、大企業の慰問会でさまざまな芸人が呼ばれます。漫才コンビの役をするのは池乃めだかと西川忠志。楽屋で赤いドレスの華やかな「駒ひかる」の前に無名で事務員のような桂米朝が現れます。

当時上方落語は衰退しており、舞台をやめて落語家と結婚するのは絹子にとって大きな賭けでした。

しかし米朝は文献を集めて古典落語の研究をして復興させ、寄席ではなくホールを回って落語をするなど上方落語の復権に力を注ぎます。やがてお客も入るようになり、弟子も増えて行きます。
弟子たちが大勢いるにぎやかな家庭のすったもんだが描かれますが、絹子は持ち前の明るさとパワーで乗り切っていきます。そのあたり、マミさんとかぶる感じがしてピッタリでした。大阪弁も自然でした。

筧利夫は青年期はきまじめそうな青年ですが、年月を重ねていくとだんだん貫禄ができます。役者ってすごいな。

そしてこの舞台は日替わりゲストがあるらしく、この日は浜村淳が登場しました。米朝とは長い付き合いということで、楽しいエピソードを語ってくれました。

これは本当に大阪でしかできない舞台ですね。出演者も関西の芸人が多く、空襲で大劇や道頓堀の劇場は全部焼けてしもた、けど鉄筋の松竹座だけは残った…という話。「ここやん」

さて、なんでこれが見たいと思ったのかと言うと。
マミさんが出るからおもしろそう、と思ったのは確かですが。
なんでそれが「おもしろそう」と思ったのか。

それは、母の実家は姫路なんですが、近所の神社の神主の息子さんが中川清すなわち桂米朝だったのです。それで家族ぐるみのお付き合いをしていたのです。時々母が「清さん」と言ったり米朝の話をするのを聞いていました。頭が良くていつも級長をしていた、ということです。
母はもうずっと会ったことはなかったのですが、母の兄弟とはずっと交流があったそうです。母よりは少し年上でしたが、まあ同年代ですね。

なので米朝が出ているテレビを見たり、記事があると興味を持って読んだりしていました。
それで桂米朝が上方落語の復興のために努力していたとか。文献を集めて研究していたとかいうことを知るようになりました。根はとてもまじめで頭のいい人だったようです。
米朝が復刻した古典落語の一つが「地獄八景亡者の戯れ」つまり星組でやった「ANOTHER WORLD」の元ネタです。

それでこの演目を見てその奥さんってどんな人だったんだろうと思ったんです。それをマミさんがやるっておもしろそうじゃないですか。

これには原作があるそうです。絹子夫人の一代記を書いた「なにわ華がたり」(廓雅子:著)という本があるそうです。舞台は年月がポンポン飛んでいきますが、本ならもっと詳しく書いてあるかもしれません。
検索したら品切れみたいなんですが、図書館で探してみましょうか。