汽笛の音が鳴って、「鴎の歌」の前奏が聞こえてきただけでうるっときました。
あの時、客席でこの幕開きに接した時の気持ちがよみがえってきました。
ミッキーさん(順みつき)のサヨナラ公演で、涙、涙で見た「霧深きエルベのほとり」。
前は本舞台で船の上で歌っていましたが、今回カールは銀橋からの登場です。
そして「鴎の歌」が終わり、カールが引っ込むと…。
本舞台は大階段のプロローグが華やかに始まります…!!!?
一体何が起きたのかと思いました。フロリアンのはずのまこっちゃんがバーン!と登場して身体能力高く踊る!
前はカールの歌が終わるとハンブルクの町でビール祭りが行われている場面になったのに、大階段のハデハデしいショーが始まるなんて!!!
やがてトップコンビも大階段に登場して歌い踊り始めるので、どうやらこれは物語に関係なくトップ3がプロローグの男とか女として登場しているだけらしいことがわかりました。
歌の内容はビール祭りがらみのようですが、前の歌とは全く違う…。
♪ビア祭りだ 秋の実りだ~
の歌じゃない―
プロローグが終わるとヴェロニカ(英真なおき)が登場して酒場の場面になります。
前はビア祭りの会場で、別に女主人がいて、ヴェロニカは「街の女」だったのに、今回ヴェロニカは酒場の女主人です。
そこへフランクフルト号の船員たちがやってきて、その中にカールがいるわけですが、ここの歌も歌詞に共通する部分はありますが違う歌になっています。
ここまでくると、もう本当に違う作品になってるんだな、とハラをくくることができました。上田久美子先生の新しい「霧深きエルベのほとり」なんだな、と。
しかし、カールとマルギットが二人になって「うたかたの恋」(♪ビール祭りのビールの泡から…という歌)を歌う場面は前と同じですね。ここからはセリフも同じで、二人のやり取りを聞いていると、昔見た公演がどんどんよみがえってきます。
なにしろ、毎日レコードを聞き倒していましたからねえ…。
それで結局「こんなのイヤー!」になるかと思ったら、昔見た舞台がオーバーラップしてその時の感動がよみがえってきて、目の前の舞台を補うことになり、それなりに感動しました。
それで、あのー、言ってもいいですかー?
紅さんのカールは…。
ガラの悪いような演技をしている
ように見えました。
さらに、あーちゃんは
良家のお嬢様らしい演技をしている
ように見えました。
なので、その奥に秘められたそれぞれの感情とか、その場面で見せるべき気持ちとか、昔の舞台をオーバーラップさせて「ここはこういう場面だった」と思いながら見たわけです。
まこっちゃんのフロリアンは良かったです。前の人よりうまいですから。
それよりも、脚本の改変の方が納得できませんでした。
プロローグのほかに脚本を変えたりカットしたりしていましたが、上田先生、どうしてこんな風にしちゃったんだろう。
確認するために昔のプログラムを引っ張り出してきました。読んでみたらまたもや昔の舞台がよみがえってきた…。
例えば、カールの妹ベティはなんで訛っていて田舎臭くしちゃったんでしょう。前はそんなことなかったのに。
そして、ベティは船乗りたちと出会ってカールを探しているという場面で、カールは田舎に忘れられない人がいて、その人はほかの人と結婚してしまったこと、しかしカールはベティに手紙でもうその古傷は忘れてしまった、船を下りて田舎に帰ると書いてきたので、ベティは迎えに来たんです。
ここでカールには昔の恋人がいるということがわかるので、レストランでアンゼリカを出会った時に「この人か」ということがわかるわけです。いきなりレストランでばったり出会う場面ではなく、前もって伏線を張っているのです。
さらに一番の疑問は、マルギットが警察とお父さんに見つかった後の場面です。いきなり婚約披露パーティーが始まる???
ここも、前のレストランの場面のあと、カールの船乗り仲間で、当時はフックスという名前の人物がいて、ベティと一緒にシュラック家へ様子を見に行くのです。そして家の外でシュラック夫妻が話をしているのを見かけるのです。
マルギットの父親、ヨゼフ・シュラックは、マルギットを見つけた時、連れて帰るためにカールとの結婚を認めると一度は言いました。そしてカールが屋敷に来て四日になる、と言っています。
しかしヨゼフは本当は認めるつもりはありません。シュラック夫人ザビーネに、カールを屋敷から連れ出せと言っています。しかしザビーネはそんなことはできないと言います。そこでマルギットがザビーネの実の娘ではないことが明かされます。ザビーネは義理の仲の自分にはできないと。
パーティー会場でいきなり実の母はどうしたという話になるのは唐突すぎます。その前にちゃんとこういう設定が明かされていると、パーティー会場での暴露の場面が効果的になるのです。
それで、この場面ではマルギットが実の母のことでザビーネとヨゼフとの間にわだかまりがあって、それが家出の原因になっているらしいことがわかるのです。
削ったらだめでしょーーー!
そしてヨゼフは相当ワンマンで頑固者のようです。
ヨゼフは自分の言いつけに従おうとしないザビーネに怒ってその場を立ち去ります。
入れ替わりにシュザンヌが現れます。
二人のやり取りで、どちらもカールは身分の低い船乗りだけど悪い人ではない、と思っていることがわかります。結局意固地になっているのはお父さんだけらしい。
フックス(今回はトビアスという名前に変わっちゃってますが)とベティはこれらのやり取りを見ていて、フックスはベティに「お前の兄さんは大変なところに来てしまったみたいだな」と言うのです。船乗り仲間たちがにぎやかに釣りをしてたり水切りをしたりしてる場合じゃないのです。
そしてパーティーでも、来ているのはマルギットとフロリアンの友人が少しだけ。だから盛り上がらない様子なのです。アンゼリカとその夫は来ません。来たらますますややこしくなるじゃありませんか。
つまりもともとの脚本では、カールの昔の恋人とか、マルギットの母親のこととか、実際に事が起きる前にそういう設定があることを観客に前もって知らせておくという配慮が行われていたのです。そうやって前もって設定を知らせておくことで、実際に事が起きた時に観客も「そういうことだったのか」という気持ちになれるのです。なぜ上田先生はそういう場面、そういうセリフを削ってしまったのでしょうか。
今回初めて見た人には、古臭い悲恋ものだという感想を持たれがちのようですが、それはこうしたマルギットやカールの複雑な背景が伝わりにくくなっているからではないかと思います。単なる身分違いの恋を反対される悲恋ものではなく、カールとマルギットの気持ちの中に本当の問題があるのです。
それにしても、カールという人物は宝塚の主役としては難しいものですね。ガラの悪い船乗りだけど、本当は真心があって、マルギットを心から愛していて…という部分を伝えなくてはいけません。カッコよく美しく舞台に出ることを心掛けているはずの宝塚の男役には、ガラが悪いのに主役として成立させなくてはいけない、というのは難しいことです。
ミッキーさん(順みつき)は本当にその辺の表現がうまかったです。
しかもサヨナラ公演ということで、ミッキーさんの集大成を見ているようで、どんなに退団が惜しまれたか…。「霧深きエルベのほとり」は私の最高の思い入れたっぷりの名作となりました。
ただ、数年後「ミー&マイガール」を見たら、これが私の宝塚ファン生活最高の名作になっちゃったんですが…。
でも「霧深きエルベのほとり」と「ミー&マイガール」はいつまでも私の二大思い入れ名作です。こればかりは今後もずっと変わらないでしょうね。
あ…、どちらも主役がガラの悪い役だ…。