「共生のイスラーム ロシアの正教徒とムスリム」 | 世界史オタク・水原杏樹のブログ

世界史オタク・水原杏樹のブログ

世界の史跡めぐりの旅行記中心のブログです。…のはずですが、最近は観劇、展覧会などいろいろ。時々語学ネタも…?
現在の所海外旅行記は
2014年9月 フランス・ロワールの古城
2015年3月 旅順・大連
2015年8月 台北(宝塚観劇)
を書いています。

「共生のイスラーム ロシアの正教徒とムスリム」
濱本真実:著 山川出版社

ロシア貴族の中には、イスラム化したモンゴル人がロシア正教に改宗してロシア貴族になったことがある…ということを知ったのは1年前ですが、その時このあたりのことを書いた本があることを教えてくれた人がいました。本はいつも積もっているのでなかなか読むまでに至らなかったのですが、最近そのあたりについて興味がわいてきたので読むことにしました。
こちらで本の紹介や目次が見られます。
https://www.yamakawa.co.jp/product/47465

薄い本なのですぐに読めました。
この本の主要な舞台となるのは「沿ヴォルガ・ウラル地方」です。
まずここでイスラム教を受け入れたのはヴォルガ・ブルガル国です。アッバース朝時代にバグダードから使節として訪れたイブン・ファドラーンは「ヴォルガ・ブルガール旅行記」を書きました。これは日本語にも訳されて東洋文庫で読めます。

この地域の大きな転機はモンゴルです。キプチャク・ハン国すなわちジョチ・ウルスがヴォルガ・ブツガル国を攻め滅ぼしてここに政権を建てました。しかし、宗教的にはイスラムの信仰がこの地域に残り、モンゴル人の末裔も次第にイスラム化していきます。

この時期、ロシアもまたモンゴル人に支配されましたが、やがてモスクワ大公によってその支配が押し返されていくことになります。
そして、最初にロシアで「皇帝(ツァーリ)」と称したイヴァン4世(雷帝)がカザンを陥落させて、ロシアがこの地域を支配する時代が始まりました。

そうして支配者の宗教であるロシア正教と、被支配の関係に置かれたイスラム教が、他の地域では見られない「共生」がずっと続くことになるのです。

それは、ロシアの皇帝によってロシア正教への改宗・布教が強硬に行われることもあれば、信仰の自由を認められることもありました。例えばエカテリーナ2世は宗教寛容令を出して、モスクの建設が増えました。
しかし、宗教的寛容は単なる「寛容」ではありません。締め付けを厳しくして抵抗運動が起こると国内が安定しないとか、オスマン帝国との関係を良好にしたいとか、統治上の都合でもありました。

興味深いのは、19世紀以降の近代化の過程です。
ロシアの支配下のムスリムは、ムスリムとしての信仰や自らの文化を保ちつつ、ロシアを介して近代化を目指す動きが生まれました。そしてこの時期に自らを「タタール人」というアイデンティティで規定する自意識も生まれました。

こうしてロシア人とタタール人は宗教の違いを越えて共生し、ともに近代化を進めて行くようになったわけですが、なんとソ連が誕生すると、宗教を否定する共産主義によって宗教弾圧が起きてしまいました。ロシア正教もイスラム教も共に抑圧されることになりました。

ソ連の崩壊によって、ソ連に支配下にあった国々が独立しましたが、改めて互いの宗教を認め合いながら共存していく道をさぐっていかなくてはならないようです。

 

(ランキングに参加しています。
よろしかったら右側の

「このブログに投票」

をポチってください)。