フランス・ロワールの古城一人旅(2)アンボワーズ城(1) | 世界史オタク・水原杏樹のブログ

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世界の史跡めぐりの旅行記中心のブログです。…のはずですが、最近は観劇、展覧会などいろいろ。時々語学ネタも…?
現在の所海外旅行記は
2014年9月 フランス・ロワールの古城
2015年3月 旅順・大連
2015年8月 台北(宝塚観劇)
を書いています。

一人旅ですと、どこへ行くにも自分で考えて動かなくてはいけません。駅に着いたら、まずどちらのへ行けばいいのか、どの道を行けばいいのか、地図を見ながら探さなくてはいけません。初めての所ですと、自分がどちらの方向を向いているのすらわからない。だいたい駅に着いたらしばらく地図をじーっと見て「どっちの道?どっちの方向?」と考えることになります。

その地図も、ネットで目的地を示した地図をプリントして持って来るので、目的地別に何枚かになります。
で、アンボワーズ駅について、地図をじーっと見てからアンボワーズ城は多分こっちの方だろうと判断して、スーツケースを引きずって歩いて行きます。パリでモンパルナス駅に向かって歩いていた時ほど重く感じないのは不思議です。
しばらく歩いたら、ロワール川と橋が見えました。アンボワーズ城は橋を渡ったところにあるはずです。そして向こう岸に着きましたが、それらしいものは見えません。とりあえず進んでみますと…着いたのは向こう岸ではなくて中州だったのでした。しばらくしたらさらに川が見えて、その向こうにアンボワーズ城が!





ロワールにはたくさんのお城がありますが、もともと城塞として作られたものから始まっていることが多いです。アンボワーズ城もロワール川の岸辺に高い城塞が建てられ、その上に館が建てられました。ですから川から見て上の方にそびえています。川を渡って、お城を目指し、入口に向かいます。上の方まで行かないといけないので、坂道、階段…しかもデコボコの石畳。
やっと入り口にたどり着いて入場券を購入。そうしたら日本人かと聞かれ、日本語のイヤホンガイドは如何と勧められて、借りることにしました。日本語の見学パンフレットもくれました。そこでやっと荷物預りへ。このあと近くにクロ・リュセ城があるのでそちらも行きたいので、それまで荷物を預かってもらえるか聞いてみたら、閉館まで大丈夫とのこと。やったー!これでやっと荷物から解放されました。

ということで、ウキウキとお城の中へ。
お城は城塞の上が高台のようになっていまして、広々とした空間が広がっています。昔はもっと建物があったのですが、使われなくなったり傷んだりしてかなり取り壊されたそうです。




イヤホンガイドに従って、城塞の端の方の、かつて塔があった所へ行ってみます。そうしますと、ロワール川を見下ろすことができて、とても眺めがいいです。アンボワーズの街も見下ろせます。うう、ヨーロッパの古い街がそのままここに…。すばらしい。

それから建物のある方へ。
入り口の横に小さな濠があります。シャルル8世が頭をぶつけたあたりらしいです。
当時、この濠の中にジュー・ド・ポームの競技場が作られていて、シャルル8世は競技を見に行こうとして、通路の門の鴨居に頭をぶつけてしまいました。そうして競技を見ているうちに気分が悪くなり、そのまま倒れて数時間後に亡くなりました。一体どんなぶつけ方をしたんでしょうね。
で、その濠はのちに埋められたのですが、近年発掘されて一部見えるようになっています。

建物の中に入りますと、甲冑や長持ちが展示してあります。石の壁、ヴォールト天井…ああ~~古いお城~!っていう感じ!!せまいらせん階段を上ると、国王の控室だった「鼓手の間」があり、そこを抜けると広々とした「会議の間」があります。フランス王家の百合の花の紋章のついた王座があります。柱にも百合の紋章があります。しかし、互い違いぐらいに、アンヌ・ド・ブルターニュの紋章もついています。

当時のフランスは現在よりも領地が小さく、ブルターニュ公国は独立国でした。公女アンヌはブルターニュ公国の後継者でしたが、ブルターニュ公がフランスに敗れ、アンヌはフランス国王シャルル8世と結婚することになりました。これがブルターニュ公国がフランスに併合されるきっかけになりました。
鼓手の間にはシャルル8世とアンヌ・ド・ブルターニュの肖像画が飾られています。

しかしシャルル8世は先に書いた通り、頭をぶつけて死んでしまいます。アンヌとの間に跡継ぎはありませんでした。そのため、王族のオルレアン家のルイがルイ12世として即位します。アンヌはルイ12世と再婚し、再び王妃になりました。

会議の間を抜けますと、食卓のある給仕係の間、アンリ2世の寝室と続きます。

ルイ12世とアンヌの間にも跡継ぎの男子が育たず、アングレーム家のフランソワがフランソワ1世として即位します。そしてルイ12世とアンヌとの間の娘、クロード・ド・フランスと結婚します。この二人の間に生まれたのがアンリ2世です。

中世のころ、フランス国王の王権は弱く、国王は首都にいて統治するのではなく、フランス各地を移動しながら統治していました。アンボワーズ城や、これから行くブロワ城は国王の居城として使われていましたが、ずっと同じ城に住んでいたのではなく、あちこち移動していました。ですからアンボワーズ城にもずっと住んでいたわけではありません。いつどこにいたとか、記録を調べ始めるとややこしくて把握できなくなります。

今述べた一連の国王はひっくるめてヴァロワ王朝になりますが、ヴァロワ王朝が途絶えてブルボン家のアンリ4世が即位したころから、国王はフランスを転々とすることなくパリに住むようになりました。その後の国王もロワールのお城に滞在することはありましたが、住居として使うことはありませんでした。

そこからさらに上の階に行きますと、中世の石造りのお城の雰囲気からガラリと変わって19世紀風のサロンのような部屋が続きます。
アンボワーズ城はフランス革命時には没収されたり火事にあったり、帝政時代に解体取り壊しが行われたりしました。王政復古時代に王家につながるオルレアン公爵夫人が城を相続しました。
そうしたら、7月革命で王政復古の国王は倒され、新しくオルレアン家のルイ・フィリップが国王として迎えられることになりました。これが「7月王政」です。ルイ・フィリップ自身はアンボワース城には住みませんでしたが、当時の趣味で内装が整えられました。それでこの辺りは19世紀風。

2月革命でルイ・フィリップは退位、亡命しました。城は共和国政府に没収されました。さらに牢獄としても使われました。

などという経緯を知ると、今まで単に「ロワールのお城、すてき~」と思っていたものが、実は紆余曲折あって現在見られる姿になり、さらに観光客に開放されるようになっていったということがわかりました。その後訪れた城でも、観光客に公開するためには修復や復元の努力があってこそ可能になっているのだということに思い至りました。


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