
仙台でもフェアはやるので、少しよくなられたらいらっしゃってくださるよう申し上げたのですが、きっと無理でしょう。高齢のお客様が多いうちの店は、こういうリスクが大きいんだと改めて実感しましたね」私の場合それが男性ではなくて、この手工芸品だった」と笑う。毎日少しずつ針を動かしていても、作品を作りあげるには早くても数カ月、大作になると数年かかるものもある。菊地さんは技術と手間に見合う対価を払いたいと考えているので、商品は数万円から数十万円になる。そこで、日本人が好むようなデザインを考え、それまではテーブルクロス程度しかなかった商品の種類を服飾品にまで広げていった。こうして、日本でもファンが少しずつ増えていった。そして会社設立から5年後、東京の某大手デパート東京 ゴミ屋敷 の手作りフェアへの出店が、客層を一気に拡大することになった。「作品と値段の性格上どうしてもお客様の年齢層は上がりますが、世の中にはこんなにお金持ちが多かったんだ、と驚きました。外見は意外なほど地味なんですが、人とは違うものや自分の好きな物になら、悩むこともなく何十万円という商品を即決されるんです。それも現金で」このフェアの成功で、菊地さんは全国の大手デパートでの催事やフェアに呼ばれるようになる。フェアがきっかけでお付き合いが始まったお客様の1人が、沢村さんだ。"