博士論文を単著として刊行されたわけですが、このテーマを思いついたきっかけについてお聞かせください。

 

  アートマネージメント的な関心なのかもしれません。どうすれば、より多くの方が美術館に足を運んでくれるだろうかという関心は長年持っていました。よくミュージアム訪問は、来館者の学歴や家庭環境がきくと言われるのですが、一方で私個人は、「大学を卒業したので、美術鑑賞が好き」と意識しているわけではない。むしろ足が遠のくのは、「美術館では黙って鑑賞しなくてはいけない」といった、美術館に対する規範意識から来ているように感じていたのです。ですので、ミュージアムでは実際にはこれほど多様なコミュニケーションが生起しているという事実を記述するための枠組み提案することが、研究者としてミュージアムの来館者を増やしていく仕事になるのかもしれないなと。

 

「はじめに」の冒頭でサブタイトルにもある「ミュージアムという「場」を構成する来館者と展示空間の研究」がこの本のテーマであると書いています。今まで「ミュージアムとは展示する場所である」という素朴な認識に疑問を投げかけることで、何を読者に期待していますか。

 

もっと自由にミュージアムについて考えて頂けたらと思っています。これは仕方ないと思いますが、ミュージアムの研究はやはり展示が中心です。したがって、文学や美術史と同様に、展示が社会的に重要であるという前提を崩せません。すると、自然と来館者は展示物を真面目に見る存在だと思い込んでしまうんですよね。だから「(美術)鑑賞論」や、「(インフォーマルな)学習」といったコミュニケーションが中心に論じられてしまう。でも一方で、海外旅行でミュージアムを訪問したり、ただデートの選択肢として選んだりという来館者もいる。そこでは、展示も重要なのだけれども、展示も含めたミュージアム体験の多様性まで視点を拡げることで、ミュージアムの理解の仕方が変わっていくと思うんです。

 

主に英米系のミュージアムの研究に基づいて書かれていますが、確かにネットなどで調べてみても、日本では外国のミュージアムについての研究書は皆無ですよね。なぜでしょう。

 

 皆無とは言えません。吉田憲司さん以降の日本の文化人類学でも、エノラ・ゲイの展示のような海外のミュージアムの事例は紹介されてきました。ただ、日本の博物館学の主流は歴史と運営論なので、領域的に日本の文脈をかなり意識せざるを得ないという限界はあるのかもしれません。