せりかブログ

 

山田富秋著『生きられた経験の社会学――当事者性・スティグマ・歴史』

 

1)山田さんの研究テーマであるエスノメソドロジーが初めて書かれたのは、中沢新一さんの『チベットのモ-ツァルト』の最初の論文「孤独な鳥の条件――カスタネダ論」のなかで〈ガーフィンケルする〉という衝撃的な紹介でした。このときの印象をお聞かせ下さい。

 

 1984年当時、社会学ではパーソンズの構造機能主義の影響が強い中で、エスノメソドロジーの解説は数えるほどしかなかったことを思い出します。その紹介の仕方も、グルドナーやシンボリック相互作用論など、アンチパーソンズ一派のひとつといった、おおざっぱなものでした。その中で、ニューアカデミズム(ニューアカ)の旗手の一人である中沢新一さんがエスノメソドロジーの創始者のガーフィンケルとカスタネダを西海岸風に結びつけたことは、斬新な紹介でした。この時、せりか書房との架け橋をしていただいた中沢さんには今でも感謝しています。

 

2)それから3年後の1987年に山田富秋・好井裕明・山崎敬一訳『エスノメソドロジー――社会学的思考の解体』が刊行されましたが、そのオビに「日常性の呪縛を解き放ち、多様な生に向けてカスタネダ『ドン・ファン』の技法が、いま雑踏のなかに蘇る」とありますが、どんな反響を呼び起こしましたか。

 

 今このオビを読み返すと、少々若気のいたりだったかなと恥ずかしくなります。カスタネダの処女作『ドン・ファンの教え』の謝辞にガーフィンケルが出てくることはよく知られています。それどころか、強固に見えていた日常の現実が、私たちの「見て言う(looking-and-telling)」インナートークの実践によって、常に今ここで作り出されているとカスタネダに教えるドン・ファンのモデルは、実はガーフィンケル自身であったと言われることもあります。UCLAの故ポルナーさんも言うように、日常の自明性の相対化は1980年代のエスノメソドロジーの世俗的なメッセージでもあったと思います。

しかし、この翻訳のアンソロジーの当初の反響は、こうした西海岸風の受け取り方というよりはむしろ、未知の分野を純粋に知りたいという学問的好奇心が大勢を占めたと思います。その後は、おかげさまで、社会学の古典の翻訳として、幅広く長年にわたって、多様な分野の人たちに参照されるようになりました。

 

3)山田さんはせりか書房から『日常性批判――シュッツ・ガーフィンケル・フーコー』(2000年)、『フィールドワークのアポリア』(2011年)を刊行してきました。今度の新刊『生きられた経験の社会学―当事者性・スティグマ・歴史』は2020年とほぼ10年サイクルで書籍を刊行されています。振り返ってどういう感想をお持ちですか。

 

 この30年間を振り返ると、最初の『日常性批判』までは、日常の自明性を問い直すエスノメソドロジーのインパクトが社会学を超えて、さまざまな隣接領域へと浸透していった時期だと思います。好井裕明さんと私が共同で編集した『エスノメソドロジーの想像力』(せりか書房、1998年)、そして桜井厚さんと好井さんの編集した『フィールドワークの経験』(せりか書房、2000年)には、ポルナーさんがいうエスノメソドロジー1.0の研究成果が花開いています。

10年後の『フィールドワークのアポリア』では、現象学的な自明性批判に代わって、緻密な相互行為分析/会話分析を実践するウィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーが、日本でも世界でも主流となった状況において、フィールドワークに志向するエスノメソドロジーは可能かという問いかけを行いました。特にこの本では、2001年から約10年間調査に携わった薬害エイズ事件のインタビュー調査を中心に取り上げ、インタビューのライフストーリーの語りを位置づける歴史的文脈の重要性を指摘しました。インタビューへの着目が、桜井厚『インタビューの社会学』(せりか書房、2002年)に続いて、ホルスタインとグブリアムの『アクティヴ・インタビュー』(せりか書房、2004年)の翻訳へとつながっていったことも特筆すべきことです。

今回の新著は、概念連関の歴史的布置と、その変化を知識社会学的にトレースする「概念分析の社会学」(2009年及び2016年)と、従来の社会学との和解を唱えるフランシスとヘスターのエスノメソドロジー入門の邦訳(2014)に力を得て、「人びとの方法(エスノメソッド)の歴史」(前田泰樹)の解明を中心的テーマとして掲げました。

 

4)今度の新刊のサブタイトルが「当事者性・スティグマ・歴史」とあります。簡単に説明できないと思いますが、このサブタイトルを付した経緯を教えて下さい。

 

 私が第二部で扱った主なテーマは、ハンセン病問題と薬害エイズ事件というスティグマ性を帯びた社会問題です。『フィールドワークのアポリア』において指摘したように、薬害エイズ事件においては、マスコミによって悪者とされた医師たちは、悪意を持った加害者として表象されました。ところが、医師たちの語りを歴史的文脈にもどして再検討していくと、医師たちは加害者どころか、当時は最善と考えられた医療を施そうと真摯に考えていた側面が明らかになりました。同時に、血友病の治療に携わった医師たちを全員まとめて加害者としてカテゴリー化することが不可能であることもわかりました。また、HIVに感染し被害者とされた血友病者の中にも、医師に裏切られたと思っていない人たちが少なからず存在することがわかりました。すなわち、すでに確立した善悪二元論によって措定された「当事者」は、当時の概念連関の歴史的布置に位置づけ直すことを通して、まったく反対の意味を帯びることがあります。したがって私たちにできることは、さまざまな歴史的文脈に置かれた「当事者性」について概念分析の社会学の観点から分析することです。こうして、スティグマ性を帯びた社会問題における当事者性を歴史的文脈において考えるという本書のサブタイトルができあがりました。

 

5)現在のコロナ禍のなかで方法としてのエスノメソドロジーが私たちが思考するときに大きな支えになると考えられますが、山田さんからサジェスチョンを頂きたいのですがいかがでしょう。

 

 本書の中では、エスノメソドロジーというよりはむしろ、新型コロナウイルスと同じ感染症であるHIV/AIDSとハンセン病について、私たちが歴史的にどのような経験をしてきたかということが、現在のコロナ禍についても示唆を与えます。すなわち、沖縄のインテグレーション政策を推進した犀川一夫医師が、日本のハンセン病政策を批判した論点が役に立つと思います(第九章)。犀川医師はハンセン病制圧の歴史の中で声高に唱えられた「ハンセン病を撲滅する」というスローガンが、人間が人間に感染させるという基本的な事実を忘却し、その結果、病を撲滅することが人間を撲滅することになる本末転倒を導いたと指弾します。

私たちは未知の病に対する恐怖から、感染者を極度に恐れ、その結果、自分も感染者になる可能性があるということを忘却して、感染者を日常世界から排除しようという欲望に駆られてしまいます。その時、感染した「当事者」はスティグマ性を帯びたカテゴリーに一括りにされ、一人一人の感染者の「生きられた経験」がどのようなものかを想像することができなくなってしまいます。私たちにできることは、いたずらに恐怖することではなく、今ここで私たちが習慣的・自動的に行っていること(=エスノメソッド)を注意深く受け止め、意識化することによって、それが何かを理解することではないでしょうか。そこがすべての始まりになると思います。

せりか書房 ブログ

(山本祐輝『ロバート・アルトマンを聴く——映画音響の物語学』)

 

①     アメリカの映画監督ロバート・アルトマンを取り上げたのはどうしてですか。

 

初めてアルトマン作品を見たとき、そのサウンドが不思議で、非常に魅力的なものであると感じたのが直接のきっかけです(その点については、本書の「あとがき」で詳しく書いています)。

アルトマンの音の使い方が異様であることはよく知られているのですが(複数の台詞を同時に重ね合わせる技法や音楽の使用法など)、研究を通じて、未だに論じられていない音響的細部が意外にも数多く残されていることに気づきました。そのような、これまで必ずしも「聴かれてこなかった」アルトマン映画の実験的な音を幅広く紹介する、そのことを通じて、映画音響の新たな聴き方を提示できるはずだと考えたのが、彼の作品をとりあげた理由です。

 

 

②     『ロバート・アルトマンを聴く——映画音響の物語学』というタイトルおよびサブタイトルについて詳しく教えてください。

 

映画は映像と音響というまったく異なる媒体を組み合わせることで成り立っているわけですが、映画研究(フィルム・スタディーズ)においても、そしておそらく一般的にも、これまで映像の方が重要視される傾向にあったと言えます。しかし、映画が音を発するようになってからもうすぐ一世紀が経とうとしている今日において、映画が好きな方であればその多くが、映像だけでなく映画音楽や音響効果なども重要であるということを(たとえ漠然とした感覚であっても)理解できるのではないかと思います。『ようこそ映画音響の世界へ』(2019)というドキュメンタリー映画が昨年日本国内でも公開されましたし、音にフォーカスした研究が近年増えつつあるのも実感しています。

しかしながら、国内でも映画音響への関心が高まりを見せているのはたしかだと思うのですが、日本語で読むことのできる映画音響の専門書が2021年現在、きわめて少ない状況にあります。多少なりとも音に関心を持つ方が学ぶためのきっかけとなれば、という思いもあって「映画音響」という言葉をサブタイトルに入れました。

それと組み合わせられているのが「物語学(物語論/ナラトロジー)」です。これは「物語」なるものの普遍的な構造を探求する領域で、文学研究を中心に非常に多くの蓄積があります。本書では、映画音響の機能について考える上での一つの切り口として物語学の諸概念を援用しました。そうすることで、映画の音は物語を語れるのかという問題——つまり言語的あるいは視覚的な「語り」とは異なる、聴覚的な「語り」が成立するのかという問題——を追及しています。映画自体には関心がなくとも、物語というものがいかにして成立しているのか、そのような形式に関わる問題について理論的に学びたいという方にも手に取っていただけると嬉しく思います。

 

 

③     本書の議論に関連するアルトマン映画の特徴をあげてください。

 

位置が不確定で、どこから聞こえているのかが曖昧な音が多用されている点です。60年代後半から70年代半ばまでのアルトマン映画では、そのような音が装置を介した音声や登場人物の声などさまざまなかたちをとりながらほぼ一貫して使用されてきました。たとえば『M*A*S*H』における拡声器の音、『ボウイ&キーチ』におけるラジオ音声、『ギャンブラー』における町の人々の声、『ロング・グッドバイ』における主人公の声などです。特定の期間にこのような特質を持った音がまとまって使用されているということは、おそらく偶然ではありません。本書では、このような音が生じる技術的背景や理論的要因について序章で論じ、作品における具体例を各章で検討しています。

 

 

④     オビにある「『M*A*S*H』、『ロング・グッドバイ』、『ナッシュビル』といった代表作の分析を通して、その実験的なサウンドから登場人物たちの「物語」/「生」が立ち現れるプロセスを解き明かす」がこの本のメインテーマですね。要約していただけませんか。

 

アルトマンと言えば群像劇を多く撮っているというのが一般的なイメージかと思われます。実際にそのような物語形式をとることによって、複数の登場人物たちに関する複数の「物語」や「生」が一つの作品のなかに埋め込まれています。ところが70年代のアルトマンは群像劇だけを撮っていたのではありません。『ギャンブラー』、『ロング・グッドバイ』、『ボウイ&キーチ』など、単一の主人公にフォーカスした優れた作品が数多くあるというのもたしかな事実なのです。しかもそこでは、群像劇の作品とはまったく異なる仕方で——つまり多元的な物語構造ではなく、端的に(③で挙げたような)音そのものによって——複数の物語が生み出され、提示されています。本書では、そのような特異な状況がどのようにして生じ、そのことにいかなる意味があるのかを、映画研究と物語学の理論にもとづいた詳細な作品分析を通じて明らかにしようと試みています。

 

 

⑤     今後このようなテーマで映画研究を進めることで、新しい可能性が開けていくと思われますか。

 

「はじめに」で述べているのですが、従来の物語学において映画音響は周縁的なものとして扱われてきました。一方、本書で示したのは、言語的な仕方や映像的な仕方ではなく、映画の音そのものの響きによっても物語は語られうるということです。本書では特定の時期のアルトマン作品にその可能性を見出しているわけですが、それ以外のさまざまな映画作家の作品についても、同様の観点から分析することができるはずだと考えています。

個人的にはこれから、映画において登場人物の聴覚はどのように再現=表象されうるのかという問題に取り組んでいく予定です。そのきっかけとなったのは、本書第一章にあたる『雨にぬれた舗道』論で、主人公の聴覚の表象について論じたことです(そこでは、いわゆる「聴取点」の概念では把握できないような映画における独特な聴覚の有り様について議論しました)。映画の主観的技法としては視点ショット(視覚の再現)やフラッシュバック(記憶の再現)などがよく知られていますが、聴覚についてはまとまった研究がおそらくまだ存在していません。今後この問題について、30年代から70年代にかけてのアメリカの映画作品や技術史などを対象に考察を重ねていくつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

J.Y. Parkのグローバルな視野は、小学校1年生の時に家族の都合で2年間NYに住んだ経験によるところも大きいのかもしれない。7歳からブラック・ミュージックとダンスに傾倒しはじめたという彼。雑誌「日経エンタテイメント」(2011年10月号)における小室哲哉との対談では、日本文化がまだ解放されていなかった中学生の頃、海賊盤のカセットや日本のラジオ電波を探して必死で日本のポップスを聴いていたと語っていた。その当時聴いたKUWATA BANDの「スキップ・ビート」をきっかけに、「アジア人でもブラック・ミュージックをパフォーマンスすることができるんだ」と目覚めたというエピソードは有名だ。