その日は、日帰り樟葉の日。
ある特別な環境で特別な音を聴くことができる日。
その場に入った瞬間、落ち着く空間と、
目の前の樹木と、
あぁ、森だなぁと思った。
普段は、何か他の事をやりながら背景として耳にする音楽がほとんどな中、それらとは全く違い、
音を「味わう」
音を「感じる」時間だった。
初めは、怖さがやってきた。
時々やってくる。
うれしい怖さというか、求めているのに怖い、
気付いてしまうという怖さみたいなもの。
途中泣けてきた。
ある感覚を追いかけていた。
確かに覚えのある感覚がある。
そこにまた辿り着きたい自分がいる。
その音を聴きながら、
それを一生懸命掴もうとしている自分がいる。
その感覚ではない、
別物を掴んでいる感覚がやってくる。
そっちじゃない、そっちじゃない。
あっちに行きたいのに。
もうすぐ掴めるのに掴めない。
もう少しなのに。。。
そこで、音が終わった。
また別の音に。
その翌々日。
都内での勉強会。
今年2024年のテーマについて。
前々から予定されていたものではない日だった。
でも何だか、出ないとなと思った。
そしてやってくる。
忘れてた感覚。記憶。
今年の干支。
「甲辰」
樹木的生き方について考える時間だった。
特に、植物に親しんでいたわけでも、
夢中になっていたわけでもなかった。
そういうものを学んだ時期もあったけれど、
無我夢中の境地には至れなかった。
(追いかけ方が甘かった点ももちろんあり)
折に触れて、
転機や帰路に「樹木」の存在が浮かぶ。
真理を知りたいと思う心は
どこかにその記憶があると思うのだけれど
人が、樹木と樹木のように、
誰かと「和」することを忘れてしまった歴史の中で
でも、何度も何度もそれらを思い出そうとする過程で、人と出会い、ご縁を結ぶ。
あの、音楽を聴いた日のよう。
掴みたくて掴めない。
もうすぐなのに、まだ掴めない。
この先も、きっと、記憶に残る日、
になったように
思う。