愛する人との交わりにおいて、

クリエイティビティ(創造性)は大切だな。


交わりのときに限らず、何事においても

創造性が、新鮮さや深い理解、、、

様々な恩恵をもたらしてくれる。


OSHOが言っていることは、

毎回同じだとマンネリで飽きるから、

と言う消極的な理由からではなく、


折角の愛し合う機会を、最大限に、最高潮に

余す所なく楽しみ、味わい、深くふれあい、

愛を享受する絶好の機会として大切にする為に

ということなのだと感じた。


自分が気づいていれば、

意識が明晰な状態ならば、

たとえ毎回同じ流れだとしても、

そこに退屈さはない

(意識的で覚めているとき、

同じになることはあまりないが笑)。


たとえ外側の形が同じでも、

毎瞬間が新鮮で、愛しくて、

深く神聖な静けさのエクスタシーの体験となる


生命、性エネルギーは、

ワンパターン、マンネリとは

無縁なのだ


例えば、

自分と相手の視線に意識を向けてみる。

同様に、手を、その触れる感触に意識を向けてみる。


触れること、触れられること、に意識を向けてみる。


そうやって、五感の意識を研ぎ澄ませて、じっくりと感じ味わってみようとする。


それプラス、エネルギーの次元、深く内的なところにも意識を向けて気づこうとしてみる。


これだけで交わりは、

“いつもと同じセックス”ではあり得なくなる。


愛する人を見つめ、目線が交わった時

伸ばした手が愛する人に触れる時

相手が優しく触れた時

体が重なり合った時


自分の中に沸き起こる愛の感覚、

甘美でとろけるようなエクスタシーの感覚を

存分に感じ、味わい、その中に溶けていく


その愛とエクスタシーが

私を動かしたい、その方向へと身を任せ

自然に流れていく


そんな感覚は、

毎回似ているようで毎回新しい。

何度味わっても、飽きることは決して無い。


味わうごとに強く、高く、深く広がって行って

交わりが終わった後もその至福の感覚は、

長く続く。。。


そんな感じ。


クリエイティビティ、いたるところで存分に発揮していこー!



今日も読んでくれてありがとう🙏✨



以下はOSHOの言葉より✨


人には決まった習慣がある。

愛し合うときでも、いつも同じ位置でする。


新しく感じる方法を探し出しなさい。 

体験のそれぞれが、

大いなる感受性をもって

創造されなければならない。 


男性、あるいは女性と愛を交わすとき、

それを大いなる祝祭にしなさい。 


そして、そのときどきに、

新たな創造性をもたらしてごらん。 


ときには愛し合う前に踊ってごらん。 

ときには愛し合う前に祈ってごらん。 

ときには森に駆けていって、

それから愛し合ってごらん。 

ときには泳ぎに行ってから、

愛し合ってごらん。 


そうやって、それぞれの愛の体験が、

あなたの中にさらなる感受性を生み、

愛が退屈で鈍くなることは

けっしてないだろう。 


相手を探求する新しい方法を

見つけ出しなさい。
型にはまってはいけない。


型にはまった習慣、すべて生に反している。 

型にはまった習慣は死に仕えている。 

あなたはいつでも創案できるーーー


創案には限界はない。 

 ときどきのちょっとした変化が、

とほうもない利益をもたらすだろう。

 

あなたはいつでも食卓で食事するーーー

ときどき芝の上に行き、

芝生の上に座って食べてごらん。 


すると仰天するだろう。 

それはまったく異なった体験だ。 


 刈りたての草の香り、

まわりでちょこちょこ飛びはねて歌う鳥たち、

新鮮な空気と太陽の光、

足元の湿った草の感触・・・


それは椅子に座って食卓で食べるのと

同じ体験であり得ない。 

完全に異なっていることに気づくだろう。



OSHO




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