愛する人のために何が出来るだろう?
と考えるだけで、私達は高次元と同調できる

と教えてくれたのは、光の存在オリンだった。

誰に対しても、この世界に、地球に対しても、

自分が何を得られるか?ではなく、

何が出来るか?に思いを馳せる事が出来るし、

そう言うときは、波動が上がっている。

要するに、愛から、ハートから思い、考える

ということかな。

しかし、愛する人のために、何かしたい、
と思ってはみても、本当に出来ることって
何もないのかも知れない。

自分ができることはなにもないと思い知り、
サレンダー出来た時、

宇宙が、神が、大いなる無が
あなたを通じて彼を愛する

ってことなのかな。。。




愛する相手に対して
人は全く無力になるものだ 
誰かを愛するとき、
人はいつも全く無力を感じる 
それが愛の苦悩だ
自分に一体何ができる 
何でもしてやりたい 
愛する者に宇宙全体を与えたい
だが自分に何ができる 
もし自分にはこれこれが
できるなどと思うようなら、
あなたはまだ愛の関係に
入っていない 
愛は全く無力だ 
完璧に無力だ 
この無力こそが美だ

この無力の中で 
あなたは自分を明け渡すからだ 

誰かを愛するときには、
きっと無力を感じる 
誰かを憎むときなら、
何かをすることができる 
誰かを愛するときには、
完全に無力だ 
一体何ができるだろう 
できるとことといえば
つまらなくて、
意味のないことばかりだ 
決して十分ではない 
何もできない 
何もできないと感じるとき、
人は自分の無力を感じる 
何でもしてやりたいと思いながら、
何もできないと感じるとき、
マインドは止まる 
この無力の中で
明け渡しが起こる 
あなたは空っぽだ 
だからこそ
愛は深い瞑想となる

【Oshoの言葉】