愛は最高の修行になりうる、と私も今までの人生経験から痛感している。

振り返れば私の人生は恋愛、愛とともにあって、大きな転機はいつも恋愛絡み、その時愛した男によってもたらされる事がほとんどだった。

二十代の頃付き合っていた彼氏にフラレて激鬱発症してスピリチュアルに目覚め、その直後結婚したのがサニヤシン(神秘家OSHOと瞑想を共にする者の呼び名)の旦那、離婚したのは私が他の人を愛したからだし、タントラに出逢えたのも恋愛で死にかけたからだしね!笑

元旦那が、出逢ってすぐ私に「お前の道は愛の道だからな😂」と言っていたのを思い出した。元旦那、なかなか洞察力あったやん!笑

瞑想リトリートやインドにはなかなか行けないけど、おかげさまで日々、愛する人のおかげ、で愛の修行にいそしめる、というわけ。


寺院は必要ない、というのは本当で、

愛が起これば、日々が、毎瞬間が、

祈りで、瞑想になる。



というわけで今日は、私の師匠の一人、大好きなOSHO の言葉をシェアするね。

Let's have fun 😉♥



愛とは稀な開花・・

時折、
それは起こる。

それが稀なのは、
恐怖がなくなった時にしか
起こらないからだ。

あなたが怖れていない時、
その時には何1つ隠すものはない、
その時、
あなたは自らを開くことが出来る。

その時、
あなたはあらゆる境界線を引き払って、
あなたの中に、
あなたの核にまで浸透するよう、
他者を招くことが出来る。

もしあなたが、
愛が起こるのを許せたら、
祈りの必要は全くなくなる。
瞑想の必要は全くなくなる。
教会や寺院の必要は全くなくなる。

もし愛することが出来たら、
あなたは神のことなど
全く忘れられる。

なぜなら愛を通じて、
あらゆることがあなたに起こるからだ。
瞑想、祈り、神・・
全てがあなたに起こるだろう。

これこそイエスが、

「愛は神なり」

と言う時に意味したことだ。

怖れるものは、何もない。
このことに気がつかなければ、
真の関係は起こり得ない。
怖れるものは何もないと・・
このことに瞑想してごらん。

それから、
他者があなたの内に入るのを許すのだ。
あなたの内部に入るよう、
他者を招待するがいい。

そして、
どこにも障害を作らないこと。
通路になりなさい。
いつも開放していることだ。

あなたの上には、
鍵もなければ扉もない。
閉ざされた扉は1つもない。
そうなったら、
愛は可能だ・・

2つの中心が出会う時、
そこに愛がある。

2つの中心が出会う時、
1つの新しいものが創り出される・・

その新しいものとは、
愛のこと。

それはまるで水のようなもの。
何生にもわたってあった渇きが
満たされるのだ。

突如として、
あなたは充足される。
それこそ目に見える愛のしるし。
あたかも何かを成就したかのように、
あなたが満足しているというそのことだ。

今や成就すべきものは何もない。
あなたはゴール(終着点)に到達した。
もうこれ以上ゴールはない。

目的は充足された。
種は花となった。
全面的な開花に至ったのだ・・

深い充足感こそ、
目に見える愛のしるしだ。
人が恋に落ちている時には、
彼らは深い充足感の内にある。
愛自体は、目に見えない、

が、
その周りの充足感、
その深い満足感、
その呼吸の一息一息、
動きのひとつひとつ、
その存在そのものが満ち足りている・・

怖れることはない。
怖れを落として、
オープンでいてごらん。

他者の中心が、
あなたの中心に出会うのを許すがいい。
あなたはそれによって、
再び生まれ変わる。

存在の新しい質が創り出されるのだ。
存在の質は言う。
「神」は在る・・と。
「神」は論議ではなく、
ある充足、
充足を感じ取る感覚(フィーリング)のことだ。

愛をサダナ(修行)にしなさい

もしあなたが人を愛したら、
少しずつその人の外面の部分が消えて行く、
その人の形が消えて行く。
あなたは形のない内側のものに、
もっともっと接するようになる。
形は次第にぼんやりとなり、
消えて行く。

そして、
あなたがもっと深く入って行ったら、
その時には、
この形のない個さえも消え始め、
溶け始める。

と、
彼方なる世界が開かれる。
そうなったら、
相手のその個人は単なる開口部、
扉だったことを知る。
その愛する者を通じて、
あなたは「神性」を見出すのだ。

最初のきらめきは、
必ず個を通して来る。
宇宙と触れ合うことは難しい。
あまりにも大きく、
あまりにも広大だ。
始まりも終わりもなく、無辺だ。

一体、どこから始めればいい?
どこから入ったらいい?
愛の相手その個が、その扉になる。
恋に落ちるがいい・・
だが、それを葛藤にしないこと。
相手を深く認め許すこと、
愛を招待状にすることだ。

そして、
相手が無条件に
あなたの内部に浸透するのを許すがいい。

すると突然、
相手は消え去り、
「神」がそこにいる・・

もし、あなたの愛する人が
神とならなかったら、
その時には、
この世の何ひとつ神性を得ることはない。

だとしたら、
あなた方の宗教的なお話は、
ただのナンセンスだ。

OSHO My way

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