インサイダーは大丈夫そうか
私がよく行くカフェは、駅近くという立地もあってか、いつ行っても「何かの勧誘」か「何かの契約」をしている客が1組はいる。これは決して私の主観だけではない。店の入り口には「ビジネスの勧誘でのご利用はおやめください」という張り紙がある。つまり店側も相当手を焼いている無法地帯なのだ。保険、ネットワークビジネス、そして何やら怪しげな貸金業。これを書いている今現在も、私は両隣を「保険の勧誘」に挟まれている。ステレオ放送で保険の恐ろしさを聞かされている状態だ。客を観察していて最高におもしろいのは、2人1組の客の「どちらもがお互いに自分のビジネスの営業・勧誘をしている」という矛と盾のようなパターンである。ひと通り、一方が自分のビジネスを熱く語り終えた後。「ほうほう、なるほど。じゃぁこの分野については⚪︎⚪︎さんに聞くのがいちばん良いですね。勉強になります。……ところで!」と言い出したかと思えば、今度はなめらかなターンでもう一方のビジネス紹介が始まるのだ。もはやちょっとした合同発表会である。保険屋のパターンの場合は、いかに他社が悪徳に客から保険金を巻き上げているか、いかに他社の保険のリターンが少ないかという説明を延々とし、まずは客を徹底的に不安にさせて脅す。そして散々脅し尽くした後に、「これまで、こういう見直しの機会はなかったんですか? なんでですかね?」と、核心を突く質問を投げる。すると客は、申し訳なさそうにこう答えるのだ。「ないですねぇ。実は僕、お金がないので。若い頃に遊んでしまって……」その瞬間に流れる、言葉にならない「あ、帰ろうか」みたいな気まずい空気。結局、無言でパンフレットの束だけを渡し、会計はきっちり割り勘にして解散していく。こういう光景も実によく見かける。勘違いしないでほしいが、保険屋さん自体をディスるわけでは全然ない。我が家だって夫と私で生命保険に入っているし、個人型年金にも入っている。だが、私たちは担当の営業マンに他社と比較して脅し上げられたこともないし、そもそもコーヒー1杯数百円のカジュアルなカフェで営業を受けたこともない。そこで私はふと、ある教えを思い出した。昔、銀座でホステスをしていた頃の話である。当時の私は、出勤前にあらゆるスカウトから声をかけられ、良い条件の店の紹介などを受けていた。これは私に限ったことではなく、ホステスがスカウトと喫茶店で会い、常に新しい店を探す機会を持つのは日常茶飯事だった。私を担当していたスカウトが、ある日私にこんなことを言った。「セリーナ。1杯1,000円以下のコーヒーを出す店に連れて行くようなスカウトや客と、深い付き合いをしちゃいけないよ」「なんで?」と聞く私に、彼はドヤ顔で答えた。「安い店に大きな仕事が転がってるわけがないし、そこで大きなビジネスが生まれるわけもないんだ」「じゃぁ、どういう店だったら良いの?」と聞くと、彼は言った。「最低でも帝国ホテルのロビーラウンジだね。たとえばそこへ俺がセリーナを連れて行き、お茶をする。そこに居合わせた金持ちの良客が、ナンパついでにお前に声でもかけてくれりゃ、一石二鳥ってもんだろ?でも見てみろ。アマンド(※当時六本木や銀座の待ち合わせの定番だったカジュアルな喫茶店)に良客は出入りしないし、アマンドに連れて行くスカウトは儲かってもいない。誰でも出入りできる大衆店で生まれる話の金額なんて、たかが知れてるんだ。ホステス同士のネットワークビジネスの勧誘だって、いつだってアマンドだろ? 儲かるわけがない」彼はそう言い放った。かつて「スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツがスタバで話していた」という、いかにも作られたようなニュースを目にしたことがある。多くの一般起業家を勇気づけたエピソードだが、おそらく彼らはその日、スタバのフラペチーノをすすりながら自社の株価に関わるような重大な話はしなかっただろう。ジョブズが「次のプレゼンの“one more thing”で、次期iPhoneの発表をしようと思うんだよね」なんて、隣に女子高生が座っているような店で言うはずがない。しかし、ここ日本の数百円コーヒーのカフェではどうだろう。「うちの大元は巨大企業で、そこの株価が実はこれからこんなふうに変動する予定で……」という、インサイダー取引で即逮捕されそうなヤバい会話が、平日の昼間から大声で平気でなされている。あれから20年以上。仙台駅付近のこの店で頻繁にブログを書くようになり、よく周囲の客を観察しているが、みんな一丁前に「お金の話」をしているようでいて、たしかに商売の規模は小さそうだ。怪しげな貸金業の男から社長が借りていた金額は「300万円」とやけにリアルだったし、ネットワークビジネスの勧誘の人たちは、ひたすら「いかにポイントがついてお得か」という話をしている。「お得・安い」は楽天経済圏だけの専売特許でいいんじゃないかと思うのだが、楽天カードの会員数が圧倒的であることが証明しているように、やはり一般庶民は「お得・安い」というワードに抗えないらしい。かくいう私も、1杯数百円の店でいつも安いアイスティーを注文し、1,000円以下の課金で長時間居座っている。そして、あたかも「ものすごく真剣な仕事をしているかのような顔」をしながら、キーボードを叩いてこのくだらないブログを書いている底辺客の一人だ。帝国ホテルのラウンジには程遠いこの場所から発信している以上、残念ながら私のSNSも、大きなビジネスを生む日は永遠に来ないだろうと静かに悟った。