色々な事があり、久しぶりのブログ更新となりました。
コメント下さった皆様、ブログは見ていなかったので、返信が遅くなりごめんなさい。

実は昨年11月25日に実家に行ったら母が動けなくなっていて救急車で病院へ。
急性心不全と肺炎との事で緊急入院しました。


翌日11月26日に面会に行った時は普通にテレビを見て夕食を食べていて、普通に会話をしていて、11月27日は仕事で面会に行くことができず、電話で看護師さんより昼夜逆転していて昼間はずっと寝ていたと聞きました。


入院3日目の11月28日の夜に面会に行ったら母は虚ろな目で私の事を見ないで、変な事を言って変だったので、看護師さんには様子を伝えました。
実はその日の午後、叔母が面会に行った時は、声をかけても目も開けず、全く起きなくて、途中シャンプーに連れて行かれたとの事。

心配で、入院4日目の11月29日午後に面会に行ったら、何度も呼んでも目も開けない状態。
看護師さんには伝えましたが、特にすぐに先生を呼んでくれる事もありませんでした。



でもその日の18時頃、脳のMRIを撮る事になったと聞き、病院で待機。
くも膜下出血と水頭症という事で11月29日の夜遅くに緊急手術となりました。


実は緊急入院した2週間ほど前に、母は明け方部屋で転んで後頭部を切ってしまい6針を縫う怪我をしていたので、緊急入院の際にはその事を伝え、脳の検査もしてもらって問題ないとの事でした。


なので突然のくも膜下出血と水頭症。

母の手術中も心配で胸がギュッと締め付けられるような辛い待ち時間でした。

12月末で早期退職したら、旅行に行こうねと母と約束していたのに、頭の中が真っ白に。



手術は無事に終わり、集中治療室へ。

遅くても2〜3週間で意識が戻らなかったら、意識が戻る事は難しいと思うと先生に言われました。


それから毎日面会に行き、母に話しかけたり、母の好きな音楽を聴かせたりする日々。

右の脳の手術をしたので、左半身は麻痺してしまい動かない状態。


何度話しかけても目を開けてくれる事がなく、反応もなかったけれど、毎日往復60キロ強の運転をして面会に行っていました。



私にできる事は毎日面会に行って、母に話しかける事しかできないから、母の回復を信じて、昨年末までは仕事をしながらの長距離運転を続けていました。


毎日母の回復を願い、面会に行っていましたが、時の経つのが本当に早く、手術後2ヶ月経っても母が目を開けてくれる事はなく、話してくれる事もなかったので、母の病院が近づくと、また今日も反応がないかなと胸が苦しくなるようになっていました。



でも2ヶ月が過ぎた頃、母が目を開けてくれたんです。

焦点は合ってなかったけれど、目を開けてくれた事が本当に嬉しくて、引き続き毎日面会に行って話しかけたり、音楽を聴かせたりを続けていた所、母の目の焦点が合うようになってきて、言葉が出るようになってきました。


しばらくすると、私の名前を言ったり、少し会話もできるようになってきて。

行く時間によっては寝てるだけで反応しない事もあるけれど、少し会話ができるようになった事は本当に嬉しく涙が止まりませんでした。



2ヶ月寝た状態で意識が戻らなかったのに、目を開けて会話も少しできるようになった事は、主治医の先生もこんな事例は初めてとおっしゃっていて、本当に驚かれていたけれど、こんなドラマのような事が本当に起こるものなのですね。

諦めず母の回復を信じて毎日長距離運転して話しかけたり音楽を聴かせたりし続けて本当に良かったと心から思っています。

脳の細胞は元には戻らないとの事で、手術後は意識が戻らない母の姿を見て、毎日泣いて過ごした日々でしたが、諦めないで本当に良かった。

母は元々腎臓が悪かったので、残念ながら人口透析と胃ろうになり、今も寝たきりではありますが、毎日面会に行っています。

緊急入院した病院は急性期の病院だったので、長くは入院できずに転院して、今は療養病院にいます。

急性期の病院で理学療法士の先生に教えて頂いたリハビリを毎日母にしてあげて、沢山話しかけてきます。

人生何が起きるか本当にわからないけれど、今年からは仕事をしていないので、母に毎日寄り添う生活をしています。

『今しかできない事をする』
これは卵巣がんになってからずっと心がけていた事ですが、今は母に恩返しをする時。
早期退職して本当に良かったと心から思います。

母の手術後はテニスもしばらくお休みしていましたが、今年に入り、テニスは再開しました。
私が元気でないと母が悲しむと思うので、ほぼ毎日テニスをして元気に過ごしています。


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