私たちは、動揺したとき、そして動揺し続けている時、自我を実在させ、世界を実在させ、外側に問題があると信じて
それをより良く変えて幸せになろうとし、そしてそれで幸せになれると信じています。
それが、自我が心に戻らさないための世界と肉体の目的であり、その力動によって私たちは突き動かされ、真の動揺の原因を忘れてしまっています。
動揺は、確かに外側の出来事がきっかけで起こるかのように見えますが、その原因は外側にはありません。
なぜなら外側は文字通り無だからです。
そして、その動揺は元々自分の中に隠し持っていたものが露わになっただけであり、その側の出来事が原因で動揺したのではないということです。
なので、私たちはまずは真の原因のあるところに戻らなくてはなりません。
その助けとなるのが、
Lesson5「私は自分で考えているような理由で動揺しているのではない」
です。(奇跡講座ワークブックLesson5より)
私は外側に起きた出来事が原因で動揺している、動揺させられていると信じていますが、それは真実ではありません。
真の原因は、心の決断の主体が分離の想念を信じるという決断をしたからです。
(私の考えは正しいと信じて深刻になると自分で決めた)
そして、それは動揺したくて、自分は神の子ではないと証明したくてその嘘を信じるという決断をした(と信じ込みました。)
(これが心が病気であり狂っているということです。)
そして、私たちはコースを学び実践していながらも、この真実を真に受け入れてはおらず、もしくはすぐに忘れて、外側の問題を外側で解決することに躍起になっています。
そうしている限り、原因に戻り心を変えることはないので、自我は安泰なのです。
こうして、私たちは
問題のないところに問題を見て、
答えのないところに答えを探し続け、
「探せよ、されど見つけることなかれ」(奇跡講座テキスト第12章Ⅳ.1.4)
という自我の命令通りに苦しみ続けることになります。
なので、動揺したならLesson5を適用して、
まずは忘却のベールを超え、真の原因のある心に戻り、自分は外側のせいで動揺しているのではない、心の決断が原因なんだと思い出す必要があります。
そうしていくなら、自分はいかに毎回毎回、外側のせいで動揺していると信じているかが見えてきます。
と同時に、段々と原因は心にあるんだと思い出せるようにもなってきます。
そうしていくうちに、
自分は心なんだとアイデンティティーもシフトしていきますが、
学び初めのうちはもちろんのこと、私自身も大きな動揺の時などはいまだにそれは「俄に信じ難いこと」に感じられることもあります。
それでも、少しづつ形而上学を学んで実践に適用していくなら、段々とそのような見方が身についてきます。
そうして心に戻ったなら、自我と聖霊を見比べて、間違いを自覚することにより正しい選択ができるようになってくることでしょう。
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