私たちは、真面目にコースを学び実践しているつもりでいますが、

 

そもそもが、コースの中心的概念である

「世界はない。肉体はない。私はいない。聖霊の形態レベルでのガイダンスはありえない。」などは、

自我(人間・個人の私)にとっては頭では「あーそうね。」とわかったとしても、決してすぐに受け入れられるものではありません。

 

だから、コースを学んでいくのも大変ですし、受け入れられるところから受け入れていくしかないのです。

 

なので、こちらに書かれた内容や、勉強会やコースの内容なども無理に受け入れる必要もないと思います。

 

しかし、私たちは学んでいきたいはずなので、理解していこうという意欲や努力は大切かと思いますが、

受け入れる準備ができていないということもありますし、それは皆同じように、何かしらのレベルで必ずあることです。

でなければここ(夢の中)にはいませんもんね。笑

 

その準備がいつできるかは分かりませんが、こだわりや疑問や抵抗を抱えながらも、学びたいのであれば、

できるところからコツコツと学んでいけばいいのだと思います。

 

 

そして、コースの特徴的なところとして、一元論のスピリチュアリティーでありながらも、心理学をベースとしています。

 

なので実践的に見ても、

 

コースが提示する概念を、自分に納得させようとするのではなく、

それらが提示された時に感じる動揺(怒り、不安、恐れ)や、抵抗(ぼーっとする、眠くなる)などを使って、

忘却のベールや自我の防衛を超えて、心(原因)にもどることがコースの目的(聖霊の目的)とされているところです。

(これがコースの特徴的なところであり、優れたところだと言えるのですが)

 

なので、無理に納得しようとする必要はないのです。

 

 

なぜなら、

心に戻って聖霊とともに自我を見た時に、初めてコースの概念やイエスの言っていることが受け入れられるようになるからです。

 

これが体験的理解です。

逆にいうと、そこから見た時しか受け入れられないし、理解できないのです。

 

 

なので、形而上学を学んで、知的理解を深め、そのランプ(形而上学・聖霊)を携えて自我を見る(赦しの実践)。

 

これが私たちがしていくことですし、そのために学んでいるのだと言えます。

 

 

しかし、その前に、知的理解として、「あーそうなんだなー」と認識していくことは大切なのですが、

それもできない場合がありますので、無理に納得しようとしなくてもいいのです。

 

 

そして、イエスはそのこともわかっていて、以下の箇所に、コースを通して教えてくれているように感じます。

 

ワークブック序文.9.1:3

ただ次のことだけを覚えておきなさい。あなたはこれらの概念を信じる必要もなければ、受け入れる必要もなく、歓迎する必要さえもない。あなたが断固として抵抗するような概念があるかもしれない。こうしたことは一切何の問題にもならないし、その効力を、減じることもない。

 

 

ワークブック序文.9.4:5

しかし、「ワークブック」に含まれている概念を適用する際に、例外を設けてかまわないと思ってはならない。そうした概念にあなたがどう反応しようとも、とにかくそれらを使用することである。それ以上のことは何も要求されていない。

 

 

 

(ACIM MIRACLES「聖霊の教室」掲示板「みんなの広場」の投稿より一部変更して転載しました。)