久しぶりの投稿です。 まずはお知らせ。

ACIM MIRACLES「聖霊の教室」のHP内に、誰でも書き込んだり閲覧できる掲示板「みんなの広場」が開設しました。

 

そこで、スタッフのけいこさんが会員フォーラム内でお題を決めて、会員さん向けに書き込みしてもらおうと働きかけているのですが、私もそのいただいたテーマで書いてみたのですが、個人的で長い記事になってしまったので、こちらのアメブロに投稿することにしました。

 

今回のお題は「向かい風」についてです。

 

私の場合はずっと向かい風が吹き荒れてて、本当に大変でした。(今ももちろんあります。)

 

ずーっと怒り続けてたりとか、ずーっと不快な感覚とかを感じてて、

それと同一化している時期が長かったです。(約1年半〜2年くらい)

 

というか、それを感じ続けていたかったんですよね。

 

絶対手放したくないんです。必要なんです。

 

だからどうしてもやめられないんですよね。

 

苦痛と喜びの混同です。何もわかっちゃいないのです。

 

 

しかし、それでももうどうしようもなくて、自分の肉体にも投影していろんな症状が出ましたし、怪我もしました。

 

病院に行っても、いろんな魔術を使っても一時的には良くなることもあるのですが、内側には常にモヤモヤ(罪・罪悪感・恐れ)を感じています。

 

しかし、それと同時に、赦しの実践をしていくと、その結果として、何事もなかったかのように非常に楽になることもありました。

 

そんなことを繰り返していると、この病気や怪我の原因も本当に心の決断によるものなんだなーと納得するに至りました。

 

だからこれもある意味学びのプロセスなんだと言うことができます。

 

 

 

そんな葛藤の中にずーっといたのですが、

 

しかしある時、それが自我で、苦痛も苦しみも実在していないのに自分で望んで感じてて、それがあると信じていただけなんだという理解に至りました。

 

自我の狂気性に本当にうんざりしたんだと思います。

 

 

でもまたすぐに忘れて彷徨いでてるんですけど、、、

 

あんなにも嫌ってた動揺や苦痛が、

 

(=そう、苦痛を欲しながらもジャッジして嫌ってるんです。これが葛藤で、分裂して狂ってる証ですよね。)

 

「ほら、今自我だよ。」と教えてくれて、「あ、そうか、自分って誰だったっけ?」と、思い出すきっかけとなってきます。

 

これがこの世界を教室として使っていく=自我から聖霊へと目的が変わるということなんだと思います。

 

 

向かい風は、自我と同一化しているならずっと吹き荒んでいます。

 

だから、私たちは向かい風を悪者(原因)にして、学ばない理由にもします。

 

しかし、原因に戻るなら、向かい風は自分で作り出していることがわかります。

 

心の自分が学ぶことを、夢から目覚めることを、完全なる平安を心底恐れているからです。

 

 

自分を肉体だと信じているなら、向かい風は消えることはありません。

 

だからそれを使っていく。使っていくしかない。それが唯一意味のあることだから。

 

 

私たちは、あると信じている世界や肉体を使って、それら全てはなかったんだということを学んでいきます。

 

聖霊を教師とするなら、神の意志に意志を合わせるなら、もはや抵抗などありえないことがわかってくるでしょう。

 

 

向かい風が一瞬の追い風に変わる瞬間があります。

 

吹き荒ぶ風の目的が変わった瞬間です。

 

 

向かい風が上昇気流となり、やがて無風となる。


そして、その時、もともと風など吹いたことなどなかったんだという認識に至る。。。

 

 

向かい風は決して悪いものではなく、私たちは向かい風の被害者でもありません。

 

自我は良くも悪くもないからです。

 

 

なぜなら、実在していないから。。。

 

答えはただそれだけなのです。

 

 

と、ノンデュアリティではここで終わったとしても、コースはここで終わらないのです。笑

 

答えが与えられていて、それを受け入れているなら、とっくに世界は終わっているはずです。


拒絶しているのでない限り、世界を知覚することなどないからです。

 

だから、それを無意識に拒絶している自分に気づいて咎めずに見ていく。

 

これが私たちがしていく唯一意味のあることだと言えるでしょう。

 

 

 

テーブルの上の紫の花の画像