奪い、奪われ合いの世界。
殺し、殺され合いの世界。
防衛なしではすぐに失い、
そして、最後には必ず失う。
そんな戦場を、イエスとともに超えたところから見るなら、何があっても平安で見ることもできるわけです。
そして、イエスは常に、
そうみたいですよね?
そう見たくはないですか?
と、私たちに問いかけます。
しかし、自我と同一化している私たちは、必ず一歩先に「NO!」と言いはります。
その答えが「YES」と変わることはありません。
だからこそ、私たちはその自我を裁かずに、咎めずに見るだけなのです。
それは実在していない。
信じているだけなのだ。
といつも教えてくれているイエスとともに。
そうして、イエスとともに見ている視点が、戦場を超えた赦しの視点。
そこには、私たちの真の自己のアイデンティティーが聖霊によって常に保持されており、そこからともに見るなら、どんな戦場も跡形すらもなく、ただ一なる心がすでに終わった夢を見ているだけなのだわかってきます。
すると、これは本当に神の子はこの今も天国て眠っていて、ただ分離という小さな狂った考えの夢を見ているだけなのだとわかってくるなら、私たちはただこの夢からの目覚めを待つだけとなるのでしょう。
そうみたいですよね?
そう見たくないですか?
●『奇跡講座』テキスト第23章Ⅳ.戦場を超えたところ
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