私たちは、欠乏感を否定して外側に必要を欲しないようにしていくのではなくて、欠乏があると信じている心を癒していく必要があります。

 

「私には何らかの必要がある」と思っているなら、すでに分離を信じ、自我と同一化して、自分は分離した肉体だと信じているので、欠乏から逃れることはできません。

私たちには「欠乏の原理」への強い執着があるからです。

 

それにより、永遠に必要を求め続け、奪い合っては「満された!満たされない!」と一喜一憂し続けることになります。

 

しかし本当のところは、そういう争奪ゲームをやりたいからやり続けているのですが、それを続けていても決して欠乏が埋まることはないのだということもわかってきます。

 

世界という結果のレベルでどれだけ対処しても、何も変わらないし、変えられないからです。

 

 

しかし、その解決法は、精進して欠乏を感じないようにするとか、欲しないようにするということではありません。

 

その真の原因とは、心の間違った決断であり、それを自分が望んで決めたということを思い出すことが救いとなります。

 

自分で決めたなら、自分で別の選択肢を選び直すこともできるからです。

それは、「そうじゃない見方=欠乏などない見方もできる」という聖霊の助言を受け入れることになるので、それが救済となるからです。

 

 

愛か殺害か。

光か闇か。

聖霊か自我か。

すべてを持っているのか、奪わないとないのか。

 

相互排他性で、常にどちらかを選び続けている私たちは、愛(平安)でないなら、必ず恐れ、欠乏を握りしめている状態だと言えます。

 

聖霊を教師としていないなら、自我を教師として崇拝しています。

つまり、すべてを持ってないなら、常に欠乏しているのだということです。

 

 

なので、私たちは、自分は分離した肉体だと信じているなら、欠乏からは逃れられません。

 

唯一の解決法は、心に戻って、原因のレベルで間違った選択を訂正したいと聖霊に真に望むことです。

 

 

そうして、聖霊・イエスとともに、戦場の上から見る。

 

そこから見るなら、奪い合いや欠乏などあり得ないことがわかります。

 

そこからであれば、すべてを持っていることがわかるので、必要という考えもありません。

 

ただ静かにすべてを平安で見ることができます。

 

それが、唯一の解決法であり、それが赦しとも言えるでしょう。

 

 

 

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