コースは、誰でも、望めば、

形而上学を学び、実践することができます。

 

そして、それを学び実践するなら、

誰でも、実相世界に到達し、

天国へと帰還することができる道として、ここに現れています。

 

そして、

そのための階梯もちゃんと用意されていて、

初めからすべてを見ることはできませんが、

階梯を登っていくにつれて、

徐々にその先の階梯も見えてきますし、

そこから見ている景色もどんどん変わってきます。

 

 

しかし、実際に学び、実践していくと、

誰もが望む道ではないなぁということもわかってきます。

 

ヘレンさんたちが、コースを書き取っていたころから、

これは5.6人のためのものだと言われていたように、

少しずつ、このコースの全体像が見え始めてくると、

本当に、ラディカルなんだなぁとわかってきます。

 

(ラディカル=根本的、根源的、徹底的、急進的、過激など。)

 

 

コースの説く一元論とは、一元論なだけに、

全く妥協なく、時に権威的にすら感じることがあります。

 

God is…

神だけを望む。

 

そうでなければ、

私たちのゴールである実相世界や真の平安には到達できないからです。

 

なので、

誰にもでも学べるし、階梯や道はあるけど、

それをやるかやらないか。

望むか望まないか。

 

結局はそれだけなのですが、そこで大きく違ってきます。

 

 

しかし、私たちは今、完全に自我と同一化しているので、

一足飛びにそのようにいくのではないし、いけるわけがありません。

 

受け入れられるところから少しずつ、

イエスや聖霊に優しく導かれていく道なのですが、

 

それでも、赦しのプロセスにおいて、

心に戻るとは、戦場となっている心に戻っていくのであり、

そこには強い向かい風が吹いてくるように感じるので、安易な道ではないこともわかります。

 

戦場に戻るくらいなら、忘却のベールで隠したままにしておいて、

偽りの幸せと平安で十分だと思うからです。

 

 

しかし、この今も、

誰でも、正しい心と、間違った心と、決断の主体を持っているので、

誰でも、正しい心を選び直すことができます。

 

そして、それは一なる心としてつながっているので、「決断の主体である私」が今、

選び直すことを真に望めばいいだけなのです。

 

そして、そもそも、

この帰還の旅はすでに終わっていて、何も起こってすらいないのに、

その真実を受け入れたくなくて駄々をこねているだけなのだということです。

 

 

なので、

誰でも、真に望み実践するのであれば、

天国に到達できる道なのですが、

 

分離して、断片化して、神に見つからないように隠れ込んでいる私たちは、

誰もが、そうは思えないし、思いたくもないということです。

 

そこから学んで、一歩一歩階梯を上っていくいく私たちにとって、

抵抗があるのは当たり前田のクラッカーだということです。笑