投影って、
常に投影しまくっているので、次から次へと押し寄せてくるように感じて、
今までとても厄介なものだと思っていました。
しかし、投影に気づいて、隠された心の闇を自覚することをしていくと、投影ってやっぱり有益なんだな〜とだんだん思えるようになってきました。
今までは、投影を自我の目的で、世界を実在のものとし続けるための証拠として、
分離を強化するために使ってきたわけですが
これを聖霊の目的で使うなら、本当に自分の自覚していない否認した心をみせてくれているんだな〜とわかってきます。
そして、その投影とは、
100%自分の中にある隠し持っているものを見ているのであり、
「内的状況の外的映像=内と外は同じ」という形而上学も当てはめて、心に戻って聖霊とともに見るなら、
その投影した他者や状況に感謝が湧いてくるように感じます。
あ、私も同じだった。私とは心だった。と平安で見ることもできる。
これを教えてくれてたんだ。と。
つまりは、問題は一つ、原因は一つ。
そして、他者はいない。世界はない。
すべて私の心の中にあるものが映し出されているだけ。
そこから見るなら、
私こそが、全くイエスや聖霊を望んでなどいないから、外側に自我を見ていたのだと自覚されてきます。
恐れていたい、曖昧なままにしていたい、
見たくない、聖霊を選び直したくない。
だから、私は赦しをせずに、
自分で自我を教師としているのにもかかわらず、
救われたい!と叫んでいる、その分裂して葛藤し続けている自我の狂気性を見るなら、
あ〜、私は神の愛をこんなにも恐れているのだ。と自覚して、間違った決断を取り消すことが可能となるのでした。