妥協なく見ていくことを心がけていくと、
普段は隠されていて
あまり表面的には感じられないような
様々な障壁や抵抗も明らかにされていきます。
よく見ていくとそれは「恐れ」でした。
それは、究極的には「死」に対する恐れです。
肉体の死に象徴される
個としての「私」という
アイデンティティーの死。
世界の消滅に象徴される
自我の死に対する恐れ。
それは、ありとあらゆる世界の状況や現象に
投影されていることが見えてきます。
この身体の反応、この行動の反応、
あの人の恐れ、あの人の攻撃、
あの人の姿、あの人の叫び。
それはすべて私が持っているものであり、
私の無意識=集合意識からの投影であり、
世界とは、個を超えた
自己概念Aの投影であると言えます。
はじまりを信じている限り、
終わりがくると信じている。
終わることへの恐れ。
"持っているもの"の喪失への恐れ。
はじまってもいない世界の終わりを
私たちはこんなにも恐れているのです。
そして、この私(肉体や個)としての
特別性の終結=死を宣告するのが、
神であり、聖霊であり、
真理であり、愛である、
と信じていて、
それを全身全霊(=世界全体)で
恐れています。
この世界のすべては
神に対する抵抗(=攻撃)であり、
投影のすべても神に対する抵抗だった。
こんなにも恐れている。
神に対する恐れ。
何もしないこと。
ただあること。
をとても恐れている。
それを自覚する。
そして、聖霊に明らかにしていく。
死は、恐れは、世界は、私は、
そもそも実在していないのだと
優しく教えてもらいながら。
この様々な抵抗が愛の障壁なのだと
自覚していくことが大切です。
そしてその恐れ(罪、罪悪感)こそ、
実在していないので、
手放すこと、取り消すことができる。
実在するものは失うことなどありえないので、
実在していないものしか、
失うことはできないのです。
恐れを失うこと以外に、
どんな損失があると予測されるでしょう。
そして恐れを失えば、
愛が私の心に戻ってきます。
(奇跡講座ワークブック
レッスン322.2:5)
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