奇跡講座の概念は
一元論的思考で書かれていると言えます。
 
学んでいくと一元論とは、
本当に一切の妥協のない思考なのだと
わかってきます。
 
 
だからこそ一元なのですが、
聖霊は、一元的思考なので、
ある意味、一切妥協がないとも言えます。
 
 
自我か聖霊か。
 
葛藤か平安か。
 
天国か地獄か。
 
一方だけが真実であり、一方は実在しない。
 
その妥協のなさこそが真理であり、
光であり、神の愛の反映とも言える訳です。
 
 
しかし、その妥協のなさは、
自我にとってはとても恐ろしく
どうしても避けたい、
なんとかして逃げ出したい
くらいのものです。
 
 
だから、すぐ、
曖昧さ、レベルの混同などという形で
すり替えてごまかしてしまうのです。
 
 
これは、私もよくやることです。
そして、今もやっていることです。
 
 
しかし、そこに少し気づけるようになった
ということは、
少しは学びが進んだということでも
あるのかもしれません。
 
 
でも、それは自我にとっては
相当厳しく感じます。
 
一切の妥協なく、
「あなた(世界)は"無"なのだ!」
という自我にとっての
終結の宣言をされてしまう!と
感じるからです。
 
 
それが、一元的思考体系である
神や聖霊やイエスから
突きつけられると感じるのだとすれば、
 
自我は、神(聖霊やイエス)を恐れて
当然なわけですし、
 
天国なんかに帰りたくない!と思うのは
当たり前のことで、そこから学んでいるわけです。