投影を知覚して、動揺したとき、

(=ん?えっ?なんで?という疑問からの
怒りや恐れや罪の意識などで
感情や思考が揺れ動くとき)

(相手が確実に悪いように見えたとしても)

必ず私が間違っている。


そのとき、
私は必ず、自我の思考システムである
間違った心を選んでいて、

あなたと私は別々だ。


と見ている。


つまり分離を信じている状態にある。


その分離の証拠として、

間違った心が、五官や頭脳を
フルに使って集めたデータをもとに
それを信じて=騙されて動揺したのだ。

(そしてほとんどの場合、
自分は被害者の立場に立っている。)


つまり、
動揺したときは、

例外なく、
必ず私が間違っているのだ。


これはとても屈辱的なことなので、
決して認めたくはないことなのだけど、

確かに、必ず私が間違っている。


そしてそのとき、

私には必ず、無意識レベルで
大切に握りしめているもの
=価値を置いているもの=信念

があるはずだ。



そう見ていくと、

誰が何を言ったとか、
誰が何をしたとかも、

だんだん関係なくなってくる。


すべて、私がやっていて、
私が間違っている
ということがわかってくるからだ。


すると、だんだんと、

すべての問題は同じに見えてくる。


奇跡講座の奇跡の第1原理である、
難しさの序列がなくなってくるのだ。


それは、徐々に聖霊の視点へと
移行していくことの現れとなってくる。