ワプニック博士もおっしゃっている、
動揺したら、レッスン5。
「私は自分で考えているような理由で、
動揺しているわけではない。」
(Wp1.l.5)
ここが、
分離の道と奇跡の道への分かれ道。
ここで、
私が被害者となり続けるのか、
心にもどって
原因から選び直すのかが
別れるポイントとなる。
被害者のままの、
卑小な存在のままでは、
選び直す力を取り戻すことはない。
「自我は常に先に語る。」
(T.6.Ⅳ.1.1)
聖霊は答えを持って待っている。
私が、
一歩下がって、立ち止まって、
思い直して、聖霊を思い出し、
忘却のベールを超えて、
自我の向かい風に向かって
"罪、恐れ、罪悪感"の暗雲を抜けて、
聖霊が「分離は起こっていない」
という答えを持って待っている
空席になった決断の主体へと戻っていく。
そのステップの始まりが、
レッスン5。
私は自分が考えている理由で、
動揺しているわけではない。
これが、とても役に立つ。