久しぶりのブログ記事になります。

皆さまお元気でしたか?


ここ最近は

「あなたと私は同じ」

という聖霊の視点から相手や世界を見て

赦しをする

ということにフォーカスしてきました。


「あなたと私は違う」

と今見ていたなら

それはもうすでに

私は自我である"間違った心を選んでいる"

ということになるので

そこから赦しを行なっていくという赦しです。


この赦しは、
(もしかしたらちょっと違うかもしれませんが)

もりGさんも最近おっしゃっているもので、

先日、このことについて
ZOOWでミーティングをしました。

その動画を近日限定公開でアップ予定ですので
興味のある方はお待ちください。




そこで、今日のワークブックのレッスン

レッスン262

今日、私がどんな違いも
知覚しませんように。

Let me perceive no 
differences today.


このレッスンは、

奇跡の第一原理
「奇跡に難しさの序列はない。」

に基づくレッスンでもあると思いました。


この"奇跡の第一原理"は、

このコースの土台となる考え方であり、 

聖霊の思考体系そのものであり、

一元的思考体系そのものの想念となるので、

赦しのレッスンをしていく上では

本当に大切な想念であると言われていますが、


テキストの一番はじめに出てくる言葉であり

何回も聴きなれたフレーズであっても、

間違った心にを選んだ状態においては、

これを受け入れることは

本当に難しいものです。


というか、肉体の目でみていたなら、

これは絶対できないですよね。


知覚そのものが

差を見る仕組みになっていますものね。




今日気付いたのですが、(今更〜)

ワークブックにおいては

パート1は
自我の分離の思考体系を
破壊して矯正していくものであり
(という言い方でいいのかな?)


パート2は
その後に
聖霊の一元的思考体系を
馴染ませていくような
レッスンとなっているのですね。


そう見ると、

この奇跡講座は本当によくできた本で、

この3部作で完結していると
JACIMさんがおっしゃるのも
よくわかります。

なので、続編なんて作れないと。。。



この奇跡講座に出会い、
戸惑いながらも実践しているのは、

幻想からの目覚めへの

その鍵の説明書
目の前に差し出されて、

すでに手にとってしまったからで。。。


今更、他の鍵を探しに、彷徨いでるのも
なんだか違うような気がして、


聖霊からの
「こっちだよ〜〜」という
微かな呼び声を聴きながら、

それを信じて

イエスや兄弟たちとともに歩いていると、

今、なんとなく

この先に、

ゴールは確実にあるのだという

確信のようなものが見えてきています。


本当にただ

赦しさえしていけばいいのだと。