中庸はない。


極端さのから恐れがわく。



自我か聖霊か。

自我の目的か、聖霊の目的か。

世界か実相世界か。

二元か一元か。

幻想か真理か。


どちらかしかない。

ふたつにひとつ。


そりゃ、偏ってるか。


ふたつあるように見えるのは、
分離が起こったと信じているから。

神の子だということを忘れているから。

心眼で見るということに抵抗があるから。


それらを思い出せば
はなからどちらかひとつしかない。


実在するもの。


それはどっちか?

真理に決まっている。


自我の視点から見れば、

真っ向、対極のポジションだから、
偏ってみえる。

その極端さにも、恐れを抱かせる。


両立はできない。

ひとつを選べば、ひとつは消える。

それが怖いのか。。。


ただひとつしかない真実を見破られれば、
それは、自我にとっては命取りだから、

自我を選ばせようと必死で欺いている。


偏っちゃう恐れは、自我の防衛。

極端に見えるのは、自我の間違った知覚。


真実は初めも終わりもなく
永久にひとつで
今もここに実在している。


選ぶことも、比べることもできない。

ふたつあるどちらかの端っこと端っこに
偏ることすらできないんだった。