実は、この夢の中では、
特別な関係性も、攻撃も、防衛も、
やってもいいんだよ。

恐れや罪悪感を
持っていてもいいんだよ。

そこから逃れなくてもいいんだよ。

ていうか、
逃れることなどできないんだよ。

逃れられないことにより、
それは赦しのきっかけとなる。

持つことの方が宝なんだ。


ある意味なんでもありの世界。

というか、そんな世界。


クソまみれで、ゴミだらけの
ここは地獄の1丁目なんだ。


実は、リラックスした友達とは
夜になるとそんな話で盛り上がるゲスい私だ。


夢の中で何があっても、
夢の中の私がなにを体験したとしても
それは妄想なんだ。


愛の妄想であり、
幸せな妄想であり、
罪の妄想であり、
戦いの妄想であり、
勝ち負けの妄想だった。


それがあっても、そうであっても、

決断の主体にある
神の子のアイデンティティーは、


今も神から分離したと
信じていたとしても、

今も一瞬一瞬、
分離を選び続けているとしても、

愛のままであり、平安であり、
源からは一度も離れたことがなく、
聖霊とともにある
光に包まれた神の子のままなんだ。


そこが愛の記憶のあるところ。
そこが救いのあるところ。


ここであれば、
この世界でもすべてはひとつなんだ。

私たちはいちなる神の子なんだ。


それ以外は反映であり、
投影であり、ただの夢。

いい夢か、悪い夢かなんて
目覚めてしまえば関係ないんだ。


合っていても、間違っていても、
これが今の私の、正直な感覚かな〜。