昨日の奇跡講座ワークブックのレッスン190。

私は苦痛のかわりに神の喜びを選択する。


このワークを前に、
またひとつ大きな赦しがありました。


ここ数年苦しみを感じてきた問題が、

明け渡しとともに消え去り、
訂正されました。

(またそこに戻ることもあるかもしれませんが)


自我の視点に、どっぷりと浸かり
苦しみの渦の中を
どっぷりとさまよっていた私は、
聖霊によって救い出されました。


なんどもなんども
こっちだよこっちだよと私の肩を叩いて
導いてくれていたはずなのに、
まったく聞く耳を持ちませんでした。

それどころか、差し出された手は振り払い、
耳は塞ぎ、心眼は隠し、

そこまでしてでも、
私は赦しを受け入れたくなかったのです。


それは、明らかに
「赦しを受け入れないぞ!」と
自分で固く決めているのです。


「本当はないのに"ある"」
と信じて
ズッポリと肉体と自我とに
同一化していたのです。

苦痛を味わい、
不快を感じ続けていたかったのです。


その原因は、明らかに
神から分離できたと信じて、
それを深刻に受け止めたことによる
自分自身が頭の中で繰り広げる妄想でした。

自分が作り上げる妄想劇場です。

自我の心(自己概念A)が、
被害者(自己概念B)と
加害者(自己概念C)を
キャスティングして、

そこに繰り広げられる戦々恐々とした
悲しみと恐れと苦痛のドラマを

肉体で、リアルに見て感じて
演じていたいという
まさに狂った一人芝居です。


苦痛とは、間違った見方である。
苦痛は神が残酷だと宣言するものだからである。


この世界のあらゆる人やものとの
特別な関係性を使って、
この苦痛は神のせいなのだから
神は残酷だと宣言したいのです。


しかし、その苦痛こそを
直視していかなければ、
それが幻想だと気づいて赦しには至れません。

でも、自我を見ていくことは、
愛する神の残酷さや神への恐れと
向き合うことになるので、
とても不快な感覚や苦痛を伴います。


苦痛は、真理にかわって
幻想が君臨していることのしるしである。

もし神が実在するなら、苦痛は存在しない。

もし苦痛が実在するなら、神は存在しない。

復讐は愛の一部ではないからである。


苦痛を感じているときは、
一歩引いて、明らかに決断の主体で
自我を選んでいるときであると
認識することが大切です。

しかし、自我の妄想劇場の渦中にいるときは、
それを望んで見ているので、
なかなか決断の主体や聖霊の心眼へと
立ち返ることはできません。


ならば、そのときは、

"この世界は恐れと苦しみの世界なのだから、
不快で当たり前なのだ。"

"この世界で幸せだと感じるよりも、
その方がよほど正気なのだ。"

という、もりGさんや、兄弟姉妹たちの
言葉を思い出し、
その苦痛と不快の中に、
ズッポリと入り込んでいていいのです。


その苦痛を味わっていたからこそ、
その不快を感じ続けていたからこそ、

それを望まなくなったときにはじめて、
方向転換して
赦しの扉が開けられ、
奇跡の道が開かれるのです。


この世界は、あなたに苦痛を引き起こす
原因であるかに見えるかもしれない。

しかし、真の原因をもたないこの世界には、
何かを引き起こす原因となる力はない。

それ自体が結果であるこの世界は、
さらなる結果を生みはしない。


コースは、結果を求めるものではなく、
原因へと立ち返って
もとに戻るためのものです。

コースは、幸せを構築していくものではなく、
愛の障壁を取り去っていくためのものです。


幻想であるこの世界は、
あなたが望んでいるものである。

あなたの無為の願望が、
世界の痛みとなって現れている。

あなたの奇異な願望が
そこに邪悪な夢を運んでくる。


私が望んで幻想を見ている。
ということは、
私は望んで苦痛を感じているということ。


苦痛とは、罪悪の想念が形となって
現れたものである。

それがあなたの神聖な心をひどく傷つけている。

苦痛とは、自由にならないために
あなたが喜んで支払った代償である。


神から分離した罪の意識からの罪悪感を
投影して
自らが、神から赦されないようにと
自分で自分を落としめいているドラマを見て
苦しんでいるだけなのです。


つまり、
私は私(神の子)を傷つけたいのです。

私は神の子である私を傷つけて、
神の子でないと証明することにより、
神をも傷つけて復讐できる
と思っているのです。


自分から神の子でなくなったのに、
愛する神が救ってくれないからといって
神の子を傷つけながら、
神以外の場所に、愛と救いを求めるという
歪んだ愛情表現のおかしなドラマを
みているだけなのでした。


そんな気づきがあった今年の元旦。

始まりの一年。


だから再び私たちは、
為しえる唯一の選択をする。

苦痛のかわりに喜びを、
罪のかわりに聖性を、
葛藤のかわりに神の平安を、
そして、世界の闇のかわりに天国の光を
自由に選びながら、
私たちの教師への感謝の気持ちで
胸(こころ)を満たそう。


私は苦痛のかわりに神の喜びを選択する。


そうでありますように。


今日も幸せな1日を〜〜♪




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