奇跡講座 ワークブック

私は神の平安を望む。

I want the peace of God.



この前々日からとても寒く、
疲れが出たのか、風邪気味で
昨日の朝は、久しぶりにレッスンを休んだ。


そして、今朝はちょっとダルいけど、
またいつもの通りにレッスンをはじめる。


私の学びとしてなのですが、
よく読んでから、
ダイジェストを一旦メモに書いて、
兄弟に送ったり、時間のあるときに、
"Jと子羊のレッスン"の方にアップする。

また、1日のどこかで、
香咲弥須子さんのyoutube動画を聞きながら、
瞑想していく。

という流れなのだが、

一旦メモに書き上げた
レッスン185のダイジェストが
なぜかすべて消えている。

こんなことは初めてでびっくり。

再度、書き直すことになるのだが、
ここで、「今日も休んじゃおうか」
という考えが頭をよぎる。

こうやって、
ワークブックのレッスン(神の想念)から
離れていくこともできるんだろうな〜。

そう思うと、今日は時間も体調も
まだ大丈夫なのだから、
妥協しないでおこうと思い直した。


再び、読みながらメモに書いていくのだが、
一度書いたワードは記憶されていて、
すぐにパッと出てくるから
とてもスムーズでありがたかった。

結局、苦労せず、
再度復習ができた感じだった。


私は神の平安を望む。

この言葉をただ口にしたところで
何の意味もない。

しかし、それを本気で言うことは
すべてに値する。

この言葉を本気で言って癒されない者はいない。

神の平安を望むと本気で言うことは、
一切の夢を放棄することである。

今日は自分の口にする言葉を
本気で言っていると認識する練習をしよう。

私たちは神の平安を望んでいる。

この言葉を本気で言うということは、
幻想が空虚だと認めることであり、
はかない夢のかわりに、
永遠を求めることである。

あなたが依然として大切にしている夢を
探し出すために、心の中を念入りに検索する。

そのすべてに対し、
一つの問いが問われなければならない。

「これが、天国や神の平安のかわりに、
私が望んでいるものだろうか。」


自分の夢をみていくと、
まだまだたくさんあった。

もう大きな夢はないのだけど、
小さな夢といえる
望みや欲望はゴロゴロあった。

夢の大きさには差異はないので、
それはたくさんあるということだ。


そして、今日の主題概念を読むことによって
なんだかもやもやしている
感情の雲の中に入っていく。

すると、
「絶対に神の平安など望みたくない。」
という信念が暴れていた。

そこを聖霊とともにちゃんとみていく。
無理に平安を求めようとはしない。

平安は頑張るものではないもんね。


私は神の平安など、まったく望んでいない。

まだまだ、人間でいたいと思っている。

こんなに望んでいると思っているが、
実際はまったく望んでいないということ。

ほんのちょっとしたことでも
そこを隠さない。

ここを認めてからが、
神の平安を受け入れることへの
はじまりのなる。

私は神の平安を望みたい。

どうか望めますように。


今日も幸せな1日を〜〜♪




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