今思えば、多分、
私は今年の夏頃までは、

死にたくて、
奇跡講座を学んでいたように思える。

少なくとも、当初は
死んで楽になりたくて、
奇跡講座を学んでいたのではないだろうか。

それが解放への道だと履き違えていた。


これは多分、幻想の世界の中で
ずっとずっと繰り返してきたことだ。


それは、完全なる神の否定。
死は存在すると見ている。


永遠は無く、神の平安などなく、
神に創造されたままの私ではなく、
想念はその源を離れて分離できた
と宣言していること。

死にゆく夢の中で、
私を消してしまいたいと思っていた。

「神よ、どうか私を殺してください」と。


そんなことかありえるだろうか。

それは、真理を幻想に持ち込むことであり、
イエスの手を掴んで、幻想に引き摺り込んで
「私を殺してください」と、
懇願していることとなる。

それは、同時に、
私が神を殺すことができるということの
宣言でもあり、

ありえないことを望んでいたのだった。






「"私"が消える」ということを
履き違えていた。


「"私"が消える」ということが、
少しでも「虚無」へと向かっているのなら、

それは死が存在すると信じて、
死へと向かっていることになる。


「"私"が消える」ということは、
自我との同一化から離れて、
神とひとつになることであり、

それは、苦しみから喜びへ、
束縛から解放へ、恐れから平安へ、
限りある命から永遠の生命へと
入れ替わることである。


価値のないものから
価値のあるものへと入れ替わる。


"私"が消えゆくなら、
幸せな私が現れるのである。

"私"が消えゆくなら、
代わり真の自己が現れるのである。



それは、
死にゆく夢の中で永遠をみるのではなく、

永遠の中でただ、
死にゆく夢を見ているだけなのだ。




そして、"私"が消える瞬間とは、
最後の最後に
静かに優しく訪れるのだろう。






参照
JAICMビデオ 「病気」





意識の旅 ケネスワプニック 病気





今日も幸せな1日を〜〜♪





●毎月開催
もりGさん、香港さんといっしょ!
第15回 Skypeによる
「ACIM・ウェブシェア会」
次回は12月9日10時〜の開催です。

こちらをご覧ください。
お申込み随時受付中。


ACIMリトリート in 沖縄」
12月17日〜19日
沖縄 Plum Church

詳しくはこちら