心が平安でないとき

私は本当に自我を選択しているんだな〜と
いうことが以前よりもまたさらに
腑に落ちてくるようになってきた。


それは、瞑想をしてみると特に感じる。

瞑想を試みても、
心は迷走を続けていて、
なかなか平安を得られないからだ。


そして、その焦りや葛藤を感じてみると、

聖霊を選択することに対しての
強い抵抗を感じる。


そんなときは、だいたい、
世界の中に、
その時に必要な情報や選択肢を
探して、並べて、

そこに差異を見て、
選んだり、計画を立てたり、
なんとかしようとしている。

いかに損をせず、ロスをせずに
選択し、計画し、上手くやりとげられるかを
真剣に考えている時が多い。


そしてそれを、ずっと考えている。
切り替えることもしないでずっと。


その正しさを選んで、損をしたくないという
防衛の筋書きは
幻想に目を釘付けにさせるという
自我の常套手段だ。


それをわかっていても、
心では聖霊を選び直したいと望んでみても、

真から望むことができないためか、
どうしても直ちに聖霊を選び直せない。


まだ自分で世界を
どうにかできると信じているからだ。



でも、そのときはそのときでしょうがない。

私はまだ
このストーリーに入り込んでいたいのだ。

少しでも損をせずに、
少しでもロスなく、
少しでも失敗なく、
この物事をやり遂げることの
達成感を味わいたいのだ。

そこに価値があり、
その方が私には得だと信じているから、
念入りに計画を立てて、
損失を避けたいのだ。

そして、そんなとき、
時間は常に過去と未来を
行ったり来たりしている。



そのすべては、
神に対する恐れと抵抗だ。

自我は本当に本当に恐れている。

自我は本当にあると信じていて、
消えたくないと思っている。


だから、その人その人の
目の前にあると思っている
状況を利用して、視線と心を釘付けにする。


自我はあると信じている信念。
分離が起こったという信念。


この強い信念を目の当たりにすると、

これらのストーリーから、
視線を外すためには、
もはや聖霊に頼るしかないのだと
わかってくる。

それはもう
聖霊にしか訂正できないことなんだ。



そして今日もまた、
聖霊が差し示す比較のレッスンの中で、

ひと通り葛藤した後で、
やっとあきらめるのです。

やっぱり、
聖霊にゆだねるしかないのだな〜と。


そんな、朝の迷走からの瞑想の時間。

それは、
自我のあきらめの時間となるのです。


今日も幸せな1日を〜〜♪





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