赦しとは、
世界を丸ごと赦すこと。
世界を丸ごと、ひとまとめにして、
自我の視点から切り離し、
聖霊の視点に切り替えて見ること。
世界を丸ごと、聖霊とともに見ること。
☆
あれは赦して、これは赦さないとか、
これは聖霊と見れるけど、
ここはまだ自我と見ていたいとか。
自我を握りしめたままで、
聖霊をコントロールするような、
分割された中で差異を見て、
それをまだ信じているような視点からでは、
結果としての、
真の赦しの心地よさというか、
平安は感じられないだろう。
そしてそれは、反対に、
さらなる葛藤をあおり、
苦しみを生み出してしまう。
☆
世界の中で価値があると思われている、
差異や、努力や、報酬や、
結果や、変化や、状況も、
そのすべてがまったく意味のないことなのだと
受け入れること。
世界が実在する、自我が実在する、
それは大切で重要なのだと信じていながら、
世界はないのだ、私はいないのだと、
無理矢理信じようとしている。
それは、恐れを抱いたままで、
平安を見いだそうとすることであり、
それは明らかに、自分を偽っている。
だから、
葛藤と苦しみがさらに増すだけとなる。
☆
奇跡講座では、
世界の中で
繰り広げられているように見えている
差異も、努力も、結果も、報酬も、変化も、
まったく意味はなく、
そこで、唯一の意味を持つのは、
ただその中で
赦しを実践していくことだけだと言っている。
それは、今まで、自我が、
実在していると信じていたものすべてから
世界を丸ごと解き放つこと。
リアルだと信じて、熱狂していた
バーチャルゲームの世界から
一気に抜け出ることだ。
☆
★「There is No Spoon」さんのブログには
こんなことが書いてあります。
夢の中で起こっていることは
夢を見ている当人にとっては現実ですが、
夢が終われば、
実在していなかったということがわかります。
救済(赦し)は、この幻想世界というゲームが
プレイされているテーブル上で、
ゲームのルールを守って
設定されたゴールに到達して
ゲームをあがることではありません。
テーブル自体をひっくり返すことです。
☆
「夏草や。強者どもが夢の跡。」
戦場から救い出されて、
故郷に帰還した兵士のように。
後から振り返ってみると、
私はどうしてあんなところにいて、
あんなことで苦しんでいたのだろうかと
遠い世界に感じる。
そして、そのとき、
ほっとして、胸をなでおろすのである。
この深い深い安堵の気持ちが、
真の赦しがもたらす平安だ。
それはすなわち、
私には罪はなかったと
受け入れた聖なる瞬間である。
それがだんだんわかってくると、
再びまた、戦々恐々とした事態に
遭遇したとしても、
故郷での安堵の気持ちを抱いたまま、
その状況を聖霊とともに
見ていくことができるのだろう。
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