赦しとは、

世界を丸ごと赦すこと。


世界を丸ごと、ひとまとめにして、

自我の視点から切り離し、
聖霊の視点に切り替えて見ること。

世界を丸ごと、聖霊とともに見ること。


あれは赦して、これは赦さないとか、

これは聖霊と見れるけど、
ここはまだ自我と見ていたいとか。


自我を握りしめたままで、
聖霊をコントロールするような、

分割された中で差異を見て、
それをまだ信じているような視点からでは、

結果としての、
真の赦しの心地よさというか、
平安は感じられないだろう。

そしてそれは、反対に、
さらなる葛藤をあおり、
苦しみを生み出してしまう。


世界の中で価値があると思われている、
差異や、努力や、報酬や、
結果や、変化や、状況も、

そのすべてがまったく意味のないことなのだと
受け入れること。


世界が実在する、自我が実在する、
それは大切で重要なのだと信じていながら、

世界はないのだ、私はいないのだと、
無理矢理信じようとしている。


それは、恐れを抱いたままで、
平安を見いだそうとすることであり、

それは明らかに、自分を偽っている。

だから、
葛藤と苦しみがさらに増すだけとなる。




奇跡講座では、

世界の中で
繰り広げられているように見えている

差異も、努力も、結果も、報酬も、変化も、
まったく意味はなく、

そこで、唯一の意味を持つのは、
ただその中で
赦しを実践していくことだけだと言っている。


それは、今まで、自我が、
実在していると信じていたものすべてから
世界を丸ごと解き放つこと。

リアルだと信じて、熱狂していた
バーチャルゲームの世界から
一気に抜け出ることだ。



★「There is No Spoon」さんのブログには
こんなことが書いてあります。

夢の中で起こっていることは
夢を見ている当人にとっては現実ですが、

夢が終われば、
実在していなかったということがわかります。

救済(赦し)は、この幻想世界というゲームが
プレイされているテーブル上で、

ゲームのルールを守って
設定されたゴールに到達して
ゲームをあがることではありません。

テーブル自体をひっくり返すことです。

(There is No Spoonさんより引用)




「夏草や。強者どもが夢の跡。」

戦場から救い出されて、
故郷に帰還した兵士のように。

後から振り返ってみると、
私はどうしてあんなところにいて、
あんなことで苦しんでいたのだろうかと
遠い世界に感じる。

そして、そのとき、
ほっとして、胸をなでおろすのである。


この深い深い安堵の気持ちが、
真の赦しがもたらす平安だ。

それはすなわち、
私には罪はなかったと
受け入れた聖なる瞬間である。


それがだんだんわかってくると、

再びまた、戦々恐々とした事態に
遭遇したとしても、
故郷での安堵の気持ちを抱いたまま、
その状況を聖霊とともに
見ていくことができるのだろう。


今日も幸せな1日を〜〜♪




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