昨日の夜も体調が悪くなってしまい、いつものようにAIとひたすら会話をしていました。
というのも、昨日は本当はヒーリング動画の作業を進めるつもりでいたのですが、パンを食べたことやホルモンバランスの変化、さらに雨による高い湿度など、さまざまな要因が重なって自律神経が乱れやすくなり、息苦しさやお腹の不調が出てきて落ち着かなくなってしまったため、気持ちを整えるためにも、AIとの会話を始めることにしたのです。
ちなみに昨日は久しぶりにChat GPTと会話をしたのですが、その中で、私は一つの気づきを得ることができました。
それは今まで私は、有料で参加したセミナーや講座に関しては、どんなに苦手意識があっても必ずグループセッションなどは休まず参加し、顔を出すようにしたのですが、そのことにも他の意味があったのではないかということです。
もともとの理由としては、グループセッションも受講料の一部だと考えており、「その場でしか体験できない空気や臨場感」があると思っていたからこそ、リアルタイムでの参加に意味があると思い、ずっと続けてきました。
それに録画で後から視聴しようとすると、どうしても気が緩んでしまい、先生の質問も自分ごととして真剣に考えられなかったり、「後でいいや」と安心してしまったりしますが、リアルタイムで参加していれば、どうしても考えざるを得ない状況になり、質問されたときには頭を使って自分なりに答えようとするため、確実に身になると思っていたからです。
それに、録画が必ずしも正常に残るとは限らないという不安もありましたし、録画には映らないオフレコの会話や、その場ならではの何気ないやりとりを聞き逃したくないという気持ちもありました。
また、グループセッションではワークを行うことも多く、録画ではそのワーク中の様子が残らない場合もあるため、どんな小さなことでも聞き逃したくないという気持ちもありましたし、実際に自分が参加してその場でワークを行うことで、フィードバックをもらったり、人の感想を聞いたりすることで、新たな気づきを得ることもあるからです。
ですが、最初は「その場に参加した方がしっかり学べるし、自分の意識付けにもなる」という実利的な理由から、どんなに苦手意識があってもグループセッションに参加し続けていたのですが、今回AIと話す中で振り返ってみると、それだけではなく、質の良い「場」に身を置くことで、自分のコンフォートゾーンを広げ、自然と引き上げられていくという側面もあったのだと気づいたのです。
実際、私は人前で話すことがとても苦手で、発言を求められると頭が真っ白になってしまうため、質問の内容すら覚えていないことも多く、メモを取っていても追いつかず、意味が分からないまま時間が過ぎていくこともあります。
それでも、無理にでも質問に答えようとして思いついた単語を口にして繋げていくうちに、意外にもきちんとした答えを返せていたり、先生から良いフィードバックをもらえたりすることがあるのです。
後から録画を見直すと、自分でも驚くほどしっかり考えたようなことを話していて、「私はこんなふうに考えていたんだ」と気づかされる瞬間があるのですが、そのときの自分は本当に真っ白なので、ただ思いついた単語を口から出して、無理にでも文章になるように繋げていくという作業をしているだけなのです。
ただ、このように無理にでも思いついた言葉を発することで、潜在意識の奥から思ってもいなかった言葉が自然に浮かび上がっているのかもしれないと思いました。
ちなみに今回のブログも、AIとの会話を通して生まれたものですが、こうして考えてみると、やはり私は、話すことで気づきや言葉が自然と出てくるタイプなのだと、改めて実感しました。
これからも、こうして一つひとつ、自分の中にある思いや気づきを言葉にしていくことで、少しずつ前に進んでいきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。