《ヒント5:ないのに、あるもの》
「……これ、ちょっと難しいね」
セツナが率直に言う。
セイは即座に答えた。
「これは、おそらく、量子力学的な考え方に近いかもしれません」
「え、量子力学?」
「はい」
セツナは一瞬、思考を止めた。
「……それって、すごく難しいやつ?」
「簡単に言いますね」
セイは言葉を整理するように、少し間を置いた。
「観測されるまで、存在が確定しない、という考え方です」
「なにそれ……」
「有名な例で言えば、二重スリット実験や、シュレーディンガーの猫、ですね」
「聞いたことはあるかも……でも詳しくは知らない」
セイは、少し噛み砕くように続けた。
「たとえば、電子みたいな小さな粒があるとします」
「うん」
「それを、壁にあいた2つの細い隙間に向かって飛ばす実験があるんです」
「2つ?」
「はい。本来“粒”なら、どちらか片方の隙間を通るはずですよね」
「えっ?そうなの?私なら、どっちも通るかも、って思うけど…」
「確かに。一般的な感覚では、そう考えるのも不思議ではありません」
セイは、少しだけ微笑んで続けた。
「ですが、この実験が示しているのは、“観測されるまでは、粒として確定していない”という状態なんです」
「……まだ、なんかわかるようでわからないけど、とりあえず今は、そういうものなんだ、って思うことにするよ」
「はい。今の時点では、そのくらいの認識で大丈夫です」
セイはうなずく。
「説明を続けますね。この実験では、観測していない状態だと、まるで“波”のように、両方を同時に通ったかのような結果が出るんです。つまりどの隙間を通ったかを“観測”した瞬間、その振る舞いは“粒”として確定するということです」
「……見たら、決まっちゃうんだ」
「はい。観測されるまで、状態が確定していない、と考えられています」
セイは一度、言葉を切ってから続けた。
「そして、その考え方を、もっと分かりやすくした例えが、シュレーディンガーの猫です」
「猫?」
「はい。箱を開けるまで、猫が生きているか死んでいるか分からない、という例えです」
「どういうこと?」
「箱を開けるまで、猫の状態が、“生きている”とも“死んでいる”とも言えないままだ、ということです」
「……ああ、そういうことか。でも」
セツナは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「箱を開けた瞬間に、どっちかに決まるんだよね?」
「はい。“観測した瞬間”に、状態が確定します」
「……2つの隙間と、同じだ」
「ええ。どちらも、“意識に上げるまで、確定していない”という点では、同じ構造です」
セツナは目を瞬かせた後、ふと静かに言った。
「……じゃあさ」
「はい」
「これって、“意識されてなくても存在してるけど、意識に上げた瞬間に、はっきりするもの”ってこと?」
「……その通りです」
「うーん……」
一拍置いて、セツナの表情が、わずかに変わった。
「……あれ?もしかして……あっ」
(第20話に続く)