昨日、「不完全性定理」と「不確定性原理」についてお話を聞く機会がありました。
とはいえ正直なところ、私には難しくてあまりよく理解できなかったのですが、それでも「なんとなくこういうことなのかな」と感じたことがあったので、今日はそれを言葉にしてみたいと思います。
昔の考え方に「決定論」というものがあるそうです。
「未来はすべてあらかじめ決まっている」「人の運命は変えられない」といった考え方で、かつての哲学者や科学者たちの間で信じられていたそうです。
そしてその影響は、今の社会にも、私たちの心の中にも、知らず知らずのうちに残っているのだそうです。
たとえば、「私はこういう人間だから」とか、「どうせ無理だし」といった言葉で、自分の未来を無意識に狭めてしまっていることが、私にもあるなと思いました。
でも、苫米地博士の教えや、量子論と呼ばれる物理の話を聞いていると、少し違った見方ができるようになるんですよね。
量子論では、「観測されるまでは結果が決まっていない」という考え方があります。
「波が観測されたときに粒になる」という話や「シュレディンガーの猫」という例え話が有名なので、誰でも1度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
例えば「シュレディンガーの猫」の話だと、箱の中の猫が生きているのか死んでいるのかは、箱を開けて“観測”するまではわからない、というものですが、これらの話を聞いて、私は「未来も同じなんじゃないかな」と思いました。
私たちの未来も、まだ“観測されていない”。
つまり、まだ決まっていないということ。
そしてこの世界は、もともと不完全で、不確実なものだとしたら、どんな未来を選ぶのかは、自分次第なのかもしれない。
だからこそ、未来を決めつけなくてもいいし、「私はこういう人間だから」「今のままじゃ無理」なんて思い込みも、もう手放してもいいのではないかと思ったのです。
私たちが抱いている「限界」や「枠」は、実は自分自身がつくっているだけで、未来は本当はもっと自由で、もっと広がっているのかもしれない。
昨日のお話から、そんなふうに感じることができました。
もちろん、「不完全性定理」や「不確定性原理」については、まだまだ理解しきれていません。
でも、今の私がそこから受け取ったのは、「未来はまだ決まっていないし、だからこそ、自分で選んでいいんだ」ということでした。
私自身、まだ“現状の外側のゴール”は見つかっていませんが、
自分の可能性を自分で狭めずに、少しずつでも“外”へ向かって進んでいけたらと思っています。
このお話については、今後も学びが続きそうなので、また何か気づきがあればブログに書いてみたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。