今日はなんとお墓参りに1人で歩いて行ってきました。
何を当たり前のことを言っているの?と思われるかもしれませんが、これは私にとっては本当に大きなことなのです。
なにしろ父が亡くなって以来、4年以上もお墓参りに行けていなかったからです。
最後にお墓参りに行ったのは、父の四十九日の法要だったと思います。
私はパニック障害の再発がきっかけで、それ以来、1人で外出するのが難しくなっていましたので、父の四十九日は実家に戻ってきてくれた弟と一緒に歩いてお寺まで行きました。
それ以降は、弟も仕事が忙しかったり入院したりでこちらには帰って来れませんでしたし、私も1人では外出ができないため、ずっとお墓参りに行けなかったのです。
それがずっと心にひっかかっており、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、念願かなってようやくお墓参りに行くことができました。
今までの私では考えられなかったことですが、今年は不思議と行けそうな気がしたのです。
ただ、不安材料があって、お寺までの道は公共交通機関がないため、タクシーで行くか歩いていくしかないのです。
お寺まではうちからだと約30分くらい歩くことになるのですが、父がいた頃はマイカーかタクシーでお寺まで行っていましたので、徒歩でこの距離を歩くのはかなりの不安がつきまとうのです。
しかもお寺までの道はタクシーはほとんど通りませんので、何かあってもタクシーをつかまえて帰ることも難しいため、どうしても1人でお寺まで歩いていくことに抵抗がありました。
それでも今年は「私には気功があるからきっと大丈夫」という気持ちになれたため、ダメ元でお寺まで歩いてみることにしました。
途中までの道は歩きなれた道でもありましたので大丈夫でしたが、信号を渡った辺りから、だんだんとこのまま歩いて行ったらすぐに帰れなくなるというプレッシャーが出てきて、独り言で自分を奮い立たせながら前へ前へと歩いていきました。
途中、不安と緊張で手のひらや足の裏に汗をかき、帰りたくなることもありましたが、そこで気功技術の「情動を消す」などを使ってみたところ、効果は薄かったものの多少は落ち着くことができたため、なんとか前進することができました。
それだけではなく、そのほかの技術も思いつくものは総動員して不安を消しながら歩き続けたおかげもあり、なんとかお寺までたどり着くことができました。
ただ卒塔婆やお札を受け取った後にお墓参りをするのが一般的だと思いますが、こういうことは生前は父にまかせっきりで何もわかりませんし、とにかく逃げたい気持ちを抑えてお墓まで行くことしか頭にありませんでしたので、とにかく記憶を頼りに、うちのお墓に行くことだけに集中しました。
途中でさすがに不安感が強くなってきたため、ずっと服用しなかった軽めの抗不安薬を飲んだのですが、それでもすぐに効くわけではありませんので、逃げたい気持ちを抑えながら、ひたすらお墓までの道を歩きました。
そしてやっと念願のお墓まで1人で来ることができたのですが、急に思いついて出かけたのもあり手ぶらだったため、お墓参りと言っても、お線香をあげたり、お花を供えたりということはできませんでした。
たとえ用意して行っていたとしても、焦りと不安のあまり、とてもローソクに火をつけたり、お花を生けたりなどはできなかったと思います。
それでもせっかくここまで来たのですから、とにかくお墓の前で手を合わせてご先祖様に感謝を伝え、今までごめんねとあやまってからその場を立ち去ったのですが、そのころには薬が効いてきたのか少し冷静さを取り戻すことが出来たため、せっかくなので卒塔婆やお札をお供えしてから帰ろうと思いました。
そしてお寺の中に入りうちの名前の卒塔婆がないか探したのですが見つからなかったため、住職さんにお聞きしたところ、卒塔婆を用意するのはお盆の時だけらしく、今回は該当しないとのことでした。
そのためお札だけお供えすることになりましたが、私の名前でお札をお供えするのは初めてのことでしたので、私がここまで来れたという証にもなると思うと、なんだか誇らしく嬉しい気持ちになりました。
ずっと不義理をしていたことに何年も申し訳ない気持ちでいましたが、これでようやく心の荷が下ろせたことでほっとしました。
無事、お札もお供えしてお墓参りもすんだことで、帰り道は行きとは違って足取りも軽やかで、なんの不安も感じず帰れました。
ここまで1人でお墓参りが出来たことに達成感と喜びを感じ、改めて気功を学んで本当に良かったと思いました。
今回の経験を通じて新たに自信をつけることができましたので、今後はお彼岸などにもお墓参りに行きたいと思っています。
お盆はさすがに猛暑の中歩いていくのは難しいので行けないかもしれませんが、次回はちゃんとお供え物を持って行き、心を込めてご先祖様の供養をしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。