井の中で考える蛙

井の中で考える蛙

”私が生きる”ことを哲学する日々
浮かんでは消えて行く思索の記録

総合的に、遠い近いの同質性みたいなものはあっても、自分以外の生き物の感覚を感じることができない。

鳥だったら、モグラだったら、アイドルだったら、科学者だったら、政治家だったら、ドラグクイーンだったら、格闘家だったら。。。

せいぜい自分の経験や知識をもとに頭で想像するだけだ。

 

私と正反対の考え方や行動を持つ人の、いくら遺伝と環境がそうさせたのだ、と言われても、やっぱり私には他人の感覚は理解できない。なぜ、そのように感じ、そのように行動するのか、どうしても感じることができない。

感じることができないから、わからない。

(わからないからと言って、非難したりしないし、理解しようとすることは諦めないよ。)

 

でももう、わかったつもりでいる自分は一旦脇に置いておいて、そろそろ私が確信する私の感覚を祝福してもいいのかな思う。

心から確信を持って、そう感じることができるものは、私にだって少なからずあるのだ。

 

私はこの人の歌声が好き、この映画が好き、この漫画が好き、自然が好き、海が好き、きのこが好き、カエルが好き、この感覚が好き、云々。

それらの一体何に惹かれるのか。

そこにきっと私の個性が光る。

きっと理屈を超えた魂の叫びがそこにある。

『生きている』という感覚がここにある。

 

人と共感できないことに、孤独を感じる必要はない。

私の感性は少数派に属するかもしれない。

もしくは私は自分の感性を主張してこなかったのかもしれない。

探索しないから新たな感動との出会いもないのかもしれない。

 

心が動かされるものが、最近少なくなってきたと感じるからこそ、その感性や感動を愛で、大切に養いたいと最近切に思うのだ。