井の中で考える蛙

井の中で考える蛙

”私が生きる”ことを哲学する日々
浮かんでは消えて行く思索の記録

わかりきったことだ。

この世界から対立も無くならければ、不幸な出来事もなくならない。

肉食動物に捕食される草食動物がいなくならないように。

不幸なニュースを聞くと、私たちは絶望してしまう。

この世から”悪人”はいなくならない。

欲望や情動に突き動かされて、私たちは生きるのだ。

 

でも勘違いしてはいけない。

私たちは犠牲を減らすことはできる。

いかにして減らすかだ。

これもわかりきったことのように思える。

 

そのためには、エネルギーを注ぎ続けなくてはならない。

そうすれば、犯罪に巻き込まれる確率は減り、平穏に過ごせる時間は長くなる。

 

私たちは不安定に動き続ける存在だ。時間は止まらない。だから決して”ちょうど良いところ”で止まることもできない。

”ちょうど良いあたり”を目指して常にその周辺をあっちに行ってはこっちに行ったりしている。

 

エネルギーを注ぎ続けることは疲れる。目の前に影響が見えないと、無意味に思える。

空回りして疲れてしまったらきっと本末転倒。

でもそれがウェルビーイングを得るための戦いであり、生きることなのだ。

 

”できる・できない”の問題ではなく、いつも”どのくらいできるいか” が問題なのだ。

 

あー今日はなんか疲れた。