先日、「鬼連チャン」(FNS)という番組を観た.

 音程を外さず、リズムを乱さずに 連続で何曲歌えるのか、というもの ・・・

 

 TV番組の優劣が視聴率で判定されているとすれば とても上手なつくりだった.

 

 観ている最中は ハラハラし、達成すると、「すごい!」と 思わず 手を叩いた.

「プロは やっぱりうまいなあ」 ・・・ と思う.

 ヤジが飛び、それがひどければひどいほど 視聴者は挑戦する側の味方になる.

 だから、その経過に 余計に ハラハラ してしまう・・・.

 とにかく 1曲 1曲と、失敗するまで画面から目が離せなくなる ・・・

 

 しかし、番組が終わると なにか肝心なものが 残っていないような 気がした.

 挑戦した曲目と、「うまかった」「上手だった」という印象は残っている.

 そのとき 時間を忘れて ハラハラ しながら TV画面を見守った気持ちも 残っていた.

 でも、その歌そのもの、が残っていないのだ ・・・.

 

 同じころ、深夜帰宅してTVを点けたら、ピアニストの 故 フジコ・ヘミング さんの追悼番組が流れていた.

 つい先日まで プレイガイドで その名前を 見たような気がしていたので、私は 訃報に触れ、内心驚いた.

 そして、「享年92歳」と聞いて、更に驚いた ・・・ 90歳を過ぎても、現役だった ということか ・・・.

 

 お恥ずかしい話だが、その時まで その演奏を聴いたことがなかった私は、はじめて その音に触れ、一瞬で この方が 支持される理由が わかった気がした.

「超高齢の ピアニスト」という稀少性からではなく、奇抜な衣装からでもなく、ただその紡ぎ出す「音」だということに.

 私は芸術に疎い人間であるが、そのような 私にも この「ラ・カンパネラ」は特別だった.今まで聞いたことがないような 豊かな音に、フッと魂が引き寄せられる ・・・そして 思った.「もっと聴きたい・・・」 

 

 それから数日後、日経新聞に フジコさんを撮り続けたカメラマンの中嶌英雄先生の手記が掲載された.

 67歳でようやく 日の目を見た フジコさんが いかに努力をしていたか、そして 彼女にとっての ピアノが どのような存在であったか ということが述べられ、興味深く読んだ.

 その 無防備な発言は ときに 話題となったそうで、そのひとつに「間違えたっていいじゃないの、人間だもの」という言葉があるのだという ・・・ 間違いを肯定する強気の言葉に とらえられがちだが、演奏での 小さな失敗を とても気にしていた というエピソードからは、「失敗を肯定する」というよりも、別のことを 意図しているように思えた.

 

 戦争を乗り越え、ピアニストでありながら 栄養失調から難聴を患い、それが故の 世界デビューでの失敗 ・・・ それでも、ピアノを弾き続け、67歳で注目されるまでの、決して 順調 とはいえない人生 ・・・

 その人生のすべてを注いだというピアノの音を 私は 先に「豊かな音」と述べたが、それは「人生の豊穣に満ちた音」というよりも、92歳にして まだ人生を歩き始めた童女のように、初々しく瑞々しいのだ・・・ .

 童女の頭上に 陽光が降り注ぐ・・・ まるで、人生は 喜び と 輝き、そして 人間の温もり に 溢れているかのように ・・・ .

 深夜に帰宅する生活を送る私は あの夜、体が食べ物を欲するように、心がその音を求めた.

 

 彼女の「間違えたっていいじゃないの、人間だもの」という言葉は、ピアノだけではなく、人生の指針を 伝えているのだ と 思う.

 最初から「失敗を甘受した生き方をしろ」と述べている わけではなく、失敗を恐れて、大切な一歩を踏み出さないことの ないように、本当に大切なものを見失わないように、と、そのピアノの音は 告げている・・・.

 

「鬼連チャン」は面白かった.

 ハラハラした.ドキドキした・・・スリルがあって、楽しめた・・・

 

 でも 私は もう見ないと思う.

 

 日本経済新聞 2024.5.5  5:00 

フジコ・ヘミングさん、名言の裏にシャイな心 中嶌英雄さん寄稿 - 日本経済新聞