2015年頃、TVの歌謡番組で KIINA.が歌う「サーカスの唄」(作詞 西條八十、作曲 古賀政男)を聴いたことがある.

 歌い終わり、舞台を降りると、司会だった由紀さおりさんが「ほんとうに お上手でした」とさらりと感想を述べられた.

 今でも思うが、あれは台本にはなかった言葉だと思う.

 

 確かに上手だった・・・ この人は本当に上手なんだなあ、としみじみ思った.

 舞台に立ちマイクを片手に歌う姿に、この歌が流行した時代と「サーカス」という限られた空間での物語が浮かび上がった.

 戦前の、私自身も生きていない時代の、しかも外側からしか見たことのない「サーカス」での物語である・・・

 なのに、歌詞が伝える「悲哀」が理解できる気がする・・・

 知らない世界を教えられ、しみじみ皆が「100年に一人、出るか出ないかの逸材」と扱うことに納得した気がした.

 ・・・そういうこともあり、この曲には私も特別の思いを抱いていたから「昭和歌謡史」に含まれたことは嬉しかった.

 

 先月4月21日の日本経済新聞日曜版の「美の粋」欄に「サーカスと絵画と日本人」(永田昌子) という記事があがった.

 古賀春江、恩地孝四郎らのと共に、珍しい長谷川利行の画も掲げられていた.

 これらの画が描かれた背景に、昭和8年、ドイツ・ハンブルクが拠点の「ハーゲンベックのサーカス団」が 万博の一環として招かれ、2か月間東京・芝浦で興行したことがあるそうだ.本格的なサーカス団に民衆は熱狂し、その後に大阪、福岡など巡回する大興行となったそうである.

 その結果、絵の題材にもなり、先述の画家たちが描いたが、その折にこの「サーカスの唄」も作られ、PRに一役買ったということだった.

 

 ところで、古賀春江が描いた「サーカスの景」(1933年)はこのハーゲンベックのサーカス団の絵葉書(カール・ハーゲンベルク「大サーカス絵葉書」)とまったく同じものが描かれており、書き写したようである.

 また長谷川利行の「ハーゲンベックのサーカス」(1936年)は「サーカス」ではなく、それに群がる民衆を描いてるという.

 サーカスを描いているようで、実は両者とも、サーカスそのものを描いているわけではないのだ.

 

 新聞記事の後半には「パンとサーカス」という言葉について記載されている.

「パンとサーカス」とは「食糧と娯楽」の喩えで、古代ローマ帝国において、このふたつを与えられた民衆は政治に無関心となり、国家に服従、・・・その結果、ローマ帝国は滅亡へ進む.だから「パンとサーカス」とは「物質主義」や「愚民政策」として用いられる言葉なのだそうだ.

 

 ところで、「ハーゲンベックのサーカス団」が日本で興行された昭和8年は第二次世界大戦前のキナ臭い時代で、日本が国際連盟を脱退し、思想統制が厳しくなるなど、軍事色が強まった時期・・・そういう中で万博が開催されたこと、そして、サーカス団に熱狂する人々を大きく報じることは、国外へは「国内の平和と安泰」のアピール、国内では「消費の拡大」と「政治への服従」を促す意図があったようである.

 

 先述した画家たちの絵に、どこかアイロニーを感じるのは、彼らはもしかすると、その意図を見透かしていたのではないか、というのは私見である.

 同様に、PR用に制作されたという「サーカスの唄」から感じる「悲哀」も、もしかしたら・・・考えすぎかもしれないが、この曲が国策に利用されたことは事実で、「戦前の大ヒット曲」というだけでは説明が足りない.

 

 ・・・「昭和」という厚く重い時代に作られた歌には、さまざまなエピソードが隠れていて、埋めようにも埋められない真実がポツポツと出てくる・・・

 

 謎解きをするのは楽しいが、同時に、秘められた真実は、現代に生きる我々に教えてくれるものもあるような気がして惹きつけられる.

 

「サーカスの唄」(1933年)