・・・ウクライナに行っていた友人が帰国した、という報告が能登から届いた.
彼女は 帰国後落ち着く間もなく、すぐに能登のボランティア活動に向かってしまった・・・
体力は大丈夫なのか? と案じている.
彼女が留守の間、何冊かウクライナ関係の本を読んだ.
ウクライナに留まることを決めた 記者、古川英治 さんの「ウクライナ・ダイアリー」(KADOKAWA)に、
「When life gives you lemons, make lemonade ! 」
という ウクライナの諺(ことわざ)がでてくる.
「人生で酸っぱいレモン(不運)に見舞われたら、甘いレモネードをつくりなさい!」という意味.
この諺に倣い、侵略、破壊、殺戮、虐待が続く、現在の悲惨な状況を「かならず幸福に転じて見せる」という不屈の思いで現地の方々は生きている、という一節があり、考えさせられた.
友人が帰国したことと、たまたま下の記事を読んだことで、私はふと この諺を思い出した.
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矢沢永吉・・・実は 十代からずっとファンだ!
私は Kiina よりはるかに齢をとっているので、私が若い頃には Kiina はいなかった!
・・・その頃は コンサートに行って「エーちゃん」コールで開幕を待った.
熱狂的なファンが多いから、LIVE中はずっと歓声がとんでいる.拍手が湧きあがる.タオルが舞う.・・・永ちゃんは歌を聴かせる、というより、観客と一緒に楽しもうと盛り上げながら こちらの反応を見ている・・・あの「矢沢」が生で歌っている、ということで 観客は舞い上がって ハイテンションが続く・・・歌い終わった時、矢沢は「うーん・・・」と、一瞬 残念そうな顔をする.・・・自分と同じ呼吸を観客に求めているのだ.自分が歌うときには、観客も同じ世界に入り、歌い終わった瞬間には、自分と同じところに着地していることを期待している.だから、その呼吸の「ずれ」で観客のレベルを感じ取る.「ついてこいよ!」と、顔が言っていた.・・・彼のライブはハードルが高い.彼が私たちに満足させることと同様に、彼を満足させるような反応を示すことを 求められる.観客が育てられる、育てようとする・・・矢沢のステージの魅力のひとつだ.
矢沢の音楽ももちろん好きだ.ロックは余韻が残るし、バラードは深い.
彼の曲を聴いた瞬間、心が別の次元に移る・・・
そして、その生きざまがすごかったと思う.
本人の言葉を借りると、「ブレていなかった」.
売れない時も売れた時も自分を見失わず、常に「挑戦」を続けた.
70代の今も変わらず、「legend」である.
その生き方、その成功を多くの人が憧れる・・・彼を好きだったから、私も少なからず、影響を受けていると思う.
一方で、私にその強さはないこともわかっている・・・彼のように、人生後半に親しい人に裏切られて何十億円も借金を負わされたら、人間不信に陥り、早々に自己破産申告を行い、陥れた人を恨みながら、つまらない余生を送るような気がする・・・でも、彼は莫大な借金を完済し、またひとつ「legend」を打ち建てた・・・さまざまな苦い思いをレモネードに変え、最後に必ず幸せをつかみ取る人だと思う.
私は以前から Kiina は 矢沢に「似ている」と思っている.
矢沢が率いたロックバンド「キャロル」が デビューした1970年代と言えば、演歌が主流で またフォークも最盛期だった頃だ.「三畳一間」や「あかちょうちん」が歌われた時代に、矢沢はリーゼントと革ジャンで「BIGになりてえ」と叫んだ.
反対に Kiina は 演歌が下火になった平成の時代に 演歌をうたってトップに立ち続けた.
矢沢が成功し、頂点を極めてた今も 挑戦を続けていることと同様に、Kiina も トップの座に甘んずることなく、つぎのステップへ進もうと 挑戦を続けている・・・よく似ている.
矢沢の生き方に多くの人が影響を受けたように、Kiina の生き方にも魅了され、励まされる人がこれからもたくさん出てくると思う.
レモンを与えられたら レモネードに変える・・・それができる人だと思っている.
(戦争が終わり、一秒でも早く、ウクライナに平和が戻りますように・・・)