晴れた穏やかな日が続いています。
今日は日曜日。
静かで、ゆったりした時間で流れています。
こういった時間を過ごすのは、何よりも贅沢に感じます。
毎日のんびり過ごしてはいますが。(笑)
さて、今日のブログタイトルですが、
「朝から一体、何を言ってるの?」
「また下ネタですか?」
そう思うかもしれません。
ていうか、そう思いますよね?
そっちの話しをしたいとは思うのですが、
今回は違います。
「人や物事をみる時に権威や肩書でみるのではなく、その人、物事の本質をみよう」
という話です。
権威や肩書で人や物事を判断される方は、この国ではとても多いです。
権威や肩書は否定はしませんが、
それで人物や物事を判断する事は、非常にナンセンスな事だと思います。
権威や肩書で人や物事をみるという事は、
その人や物事の本質というものを全くみていなくて、
権威と肩書だけでしかみていないということです。
それだけで信用して身を委ねてしまう。
この国で生まれ幼少の頃から、権威や肩書、地位、学歴、
そういったものに序列をつける環境で育ってくれば、
必然的に権威、肩書というもので人や物事をみてしまう感性ができてしまうとは思います。
その感性というものが、結果的に自分自身の枠を狭め、
選択肢のない物事の考え方や、
創造力、発想も貧困でコピペしか出来ない、
小さい人間にしてしまう要因になります。
逆に言えば、
この国では権威と肩書があれば、ボロ儲けできるという事になります。
なので、
権威と肩書を売りにするという人物や物事が多いのです。
振り回す側、
振り回される側、
これは世論の流れを作るにあたってこの図式は必要で、
仕掛ける側、
仕掛けられる側、
まったく同じわけです。
「業界で有名なあの人が言うことだから間違いない」
「有名大学出身のあの人が作ったものだから絶対いい物だ」
こんな感じで、その人や物事の本質は見ずに、
ブランド化された権威と肩書だけ全てを受け入れてしまう。
当然、権威や肩書でしかみていないので、
その人物や物事の本質などみえるわけもなく、
自分の勝手に作り上げたイメージでしかみていない。
そこからは自分の望んだ結果は出ることはなく、
残念な結果に終わる。
権威や肩書というのは、
「飾り」でしかない。
その人間や物事の本質というものをみなくてはいけないわけです。
以前もブログで書きましたが、
僕の場合は、権威や肩書は一切取っ払って人と人で話ます。
その上で、
「またこの人と会いたいな」
と思える人と付き合い、取引します。
僕の経験上、
権威や肩書だけで付き合い、取引をすると長期的にはうまくいかない事が殆どです。
結局は付き合い、取引する人(企業)
人と人の付き合いなんです。
お金とお金、
物と物、
の付き合いではないんです。
人それぞれ考え方は千差万別なので、
どれが善し悪しという事ではありませんが、
お金や物という括りでの付き合いは、そう長くは続きませんし、
何より、
ストレスが溜まり疲れます。
楽しくないわけですよ。
物事にしても表面上の数字(金額)に踊らされて、
その物事の本質というものをみないから、物事うまくいかないわけです。
何が良いか悪いかではなく、
自分はこの人と長く付き合っていけるか、
この物事はずっと続けられるか、
という視点で考えるようなれば、自ずと自身で判断し行動できると思います。
今日は、モザイク(権威と肩書)と無修正(本質)について話をさせて頂きました。
では、素敵な日曜日をお過ごしください。