●楽しくやるのが基本

 

 

・手段と目的を明確に

 

さて、読者の皆さんにとっても毎日の仕事生活はいろいろ厳しく、大変にご苦労なこととお察しいたします。様々な課題や目標を掲げ(させらせ?)、その達成に向け来る日も来る日もあくせく働き、しばしの心の休息を得ることもできない、そのような日常をお過ごしだろうと。

まさにそこは現実の世界、生死をかけた戦いといっても過言ではないと思います。昨今の状況を見れば、余計意気も沈みがちになるのも当然です。

筆者も、担当職務上かなりの頻度で人材ビジネス系の営業マンと会いますが、聞けば聞くほど気の毒でたまらない気持ちになります。特に入社したての新人営業は、街中闇雲に会社訪問を繰り返し、まず人と会うことを命題に名刺配り合戦にのめり込む必要があります。そして、中には名刺交換の数が目標に足りず、最終的に駅前で通りすがりのビジネスマンに頭を下げ、名刺交換をお願いする新人もいるのです。

 

これも仕事といえば仕事です確かに。何事も勉強・経験だと言われたら、それもまたしかり。新人教育と銘打てばある意味非人道的な苦行を強いる企業もたくさん存在するのもまた事実。利益追求が至上命令の現代企業にとっては、見方を変えればせっかくの人財(と言っておりますが)も、ただの使い捨ての駒なのです。

 

決して人材系ビジネスをされている企業全てがそんな状態だ、ということではありませんのでそこは誤解されて欲しくないのですが、ただ一つ言わせて頂けるならば、クライエント企業の人材確保・採用プラン、採用後のフォロー体制の確立支援、などとメニューを出している会社の営業マンが、数ヶ月のうちにコロコロ担当代えとか、あるいは退社しました、なんてことはどういうことなのか?と疑問を投じたいのです。

 

自社の社員定着を図れずに、人様の会社に対してとやかく言って商売にして欲しくないと言いたいのです。働く社員にとっても、入社当時は強かった心意気も、恒常的な残業勤務が続き、毎日終電帰宅という状況を脱出できない状況では、よっぽどの強靭な精神と肉体を持ち合わせた人間(対極もあると思いますが)意外は、持ちこたえられず、結果コロコロ代わってしまうのも当然なのでしょうね。

 

失礼、いつも思っていることをここに書いてしまいましたが、読者の皆さんにも各人の職業観というものの捉え方、どのように認知をされているのか、こんな事例でもちょっと見直すための比較材料になればと思った次第です。

いずれにしても、このような商売ではするほうも、されるほうもしっくりこないのは当たり前なのですが。

 

 

・プレッシャーはプラスのストレス

 

状況は違えども、本業は誰にとっても厳しくて辛いものですから、その程度に違いはあっても、少なからず皆さんストレスを感じていることと思います。

実はストレスにもプラスとマイナスそれぞれの要因がありますから、感じているストレスが芳しくない(マイナス)ものであるならば、ストレスを発散・解消することが必要になってきます。人間時には我を忘れ、羽目をはずす時間を過ごす必要もあるのです。ストレス発散をしないでいるとどうってしまうのか、そうです、人間が壊れてしまいます(可能性があるということです)。

 

最近特に耳にすると思いますが 「うつ状態・うつ病・メンタルヘルス不調」 というのは、まさに人間が本来持っている自然に生きるという脳機能が、事例にあったような過酷な勤務状態が続いたり、会社の為・売り上げの為などということで、自分を抑え込み、犠牲にしてまでも責任を果たそうとするために、本来の脳機能に異常をきたしてしまい、発症してしまうということなのです。

そうならないためにも、何か楽しいことを探さなくては、と思うわけなのですが。

 

ハイ、だから「副業」なんです。

 

とは、あまりにもこじつけが強いので、いきなりそこへはいきませんが。

 

○○達成のために頑張ろう → 失敗もあるかもしれない 」 ・・ プレッシャーは良好なストレスになる

 

○○しなくてはならない → 失敗は許されない」 ・・ キケンなストレスになる

 

前者は、もちろん頑張ろう精神たっぷりなのですが、けっしてそれが100%ではない、時にはミスや失敗もあるだろう、と柔軟的に物事を捉えることができる。

ということは、上手くいかない時でも、気持の切り替えが早く、次の策を講じることができる。チェンジが可能。

一方、後者の場合は、例えば成功することが条件と捉えてしまうために、失敗は許せない、そして失敗する自分はダメな人間だ、という心理に陥り、挙句メンタル的に支障が発生する可能性が高くなる。チェンジは不可能。

 

この違いをご理解いただけたら、自分の気持ちの持ちよう、そして状況への耐性がうまく図られるはずです。

 

 

・感じたことがタネにもなりうる

 

例えばストレス発散のため、という観点で考えたとしましょう。

何か楽しいことをしなくては、趣味でも持とうかな、スポーツなら何がいいかな、気持が安らげるものは何かな、というパターンは通常よく頭に思い浮かぶことです。

ところが、実はストレス発散のためには、何でも良くて、個々人が感じている悶々としたものを忘れられたら、それでオッケイなのです。自分が楽しいな、気分がいいな、元気になるな、と思えるようなことは、他人はともかく、自分自身がそれでストレスが解消できて(できたと感じる)ていれば、それが健全なキャリア開発志向にもつながる下準備ができた、ということになるはずです。

 

もしかしたら世間の中にも、自分と同じような方法でストレスの解消を感じてくれる人がいるかもしれません。と、そのような思いを持つことができるならば、そういう人を対象にして、その内容や方法を聞かせてあげる、もしくは見てもらえるようにすることができたなら、その同じような欲求を持った人々はそれを満たそうとするはずではないでしょうか。

少し回りくどくなりそうなので、ここで繋げましょうね、その欲しているものが、まさに「副業」のタネになる可能性があるというわけですね。

ここでのタネは、そもそも自分が楽しいとか、気分が良いということが始まりですから、当然それを業として行う自分も、即ち楽しくて気分が良いもの以外の何ものでもないということになるのです。

 

何をやろうかな? 何が良いのかな? と考えること事体は義務ではありません。当然ですね、自分が欲して考えることですから。そしてそれは決して苦痛を伴うものでも、耐え忍ぶものでもありません、「・・・ねばならない」 的な思考は不要なのです。

ということは、創造的に考えているその時点から、楽しいと感じることができるのではないか、と思うのです。何色の玉がでるのかな(何がいったいできるのかな)?ガラガラポン!

仮に打算的にトライしたことであっても、所詮ゼロからスタートしているわけですから、金色や銀色の玉がでなかったとしても、多少の笑みをもって、かわせることと思います。

 

人間の心理として、受動的作用には抵抗を感じるので、言われて考えることは決して楽しいとは思わないのです

 

そう、明日は楽しい遠足、おやつは何を買って持っていこうかな、ルンルン♪

 

つづく