帆80~81シーズン②

 

1月末、ルー・レナートに替わってテッド・ポドレスキがエグゼクティブに就任しました。

 

この人は60年代後半から長くサンズのフロントにいた人物。サイラスHCがサンズでプレイしていたときにはフロントにいたと思われるので、その縁でしょうか。

 

【控えその2】

 

11月頭に契約したのがロン・ディビスという26歳のSF(6フィート6インチ)。

76~77シーズンに7試合だけホークスでプレイしますが、その後はCBAで過ごしていました。

ちなみに、ディビスとの契約に伴って、トニー・プライスは解雇されています。

 

ウィックスの解雇後にまとまったミニッツをコンスタントに得られるようになり、特に2月は13試合中10試合で2桁得点をあげるなど好調。

シーズン通算では64試合で平均5.8点をあげました。

 

年明けにはジェローム・ホワイトヘッドと契約。

この人は、昨シーズン序盤にクリッパーズを解雇された後、移籍を繰り返しており、3チームを経て戻ってきました。

 

今回は、平均15分ほどのミニッツながら、契約後はほんとんどの試合でプレイ。平均4.1点・4.8リバウンドをマークしました。

この補強は来シーズン以降につながります。

 

ウォーリー・ランクは25試合の出場でしたが、1シーズン生き残りました。

 

【ビル・ウォルトン①】

 

まず、開幕直後の10月末、クリッパーズは、ロイズ・オブ・ロンドンを含む2つのイギリスの保険会社を相手取って訴訟を起こします。

125万ドルの保険金、契約違反&詐欺&過失による虚偽説明を理由とする損害賠償1125万ドルを支払うよう求めました。

 

ウォルトンが79年にクリッパーズと契約した際、クリッパーズには保険による補償が認められていました。

クリッパーズは、保険契約の期限が切れる6週間前に保険金請求を提出していたんですが、ロイズ・オブ・ロンドンはそれに対して何もせず。

更に、その保険契約の期限が切れるタイミングで、クリッパーズが更新を求めたところ、送られてきた保険契約案には、「足首と足」の両方を補償対象から除外する条項が含まれており、クリッパーズはその契約書にサインしませんでした。

 

保険金の請求に対してロイズ・オブ・ロンドンが何もしなかったのは、ロイズ側のアメリカ国内での代理人を務める弁護士曰く、ウォルトンの「足首」は保険の補償対象ではないから、とのこと。

これが訴訟につながりました。

 

クリッパーズはこの保険契約のために2万ドルを支払っていたんですが、その保険契約ではウォルトンの「足首」は補償対象から除外、「左足」については対象に含まれるとされていました。

クリッパーズ側の弁護士によると、ロイズ側の弁護士は「足首(ankle)」という言葉には、今回負傷している足の部分(足根舟上骨の部分)も含まれると解釈すべきだと主張してきたとのこと。

 

これに対してウォルトンは「私の問題は左足にある。足首は何ともない」とコメント。

更にクリッパーズ側の弁護士はこう続けました。

「医学部1年生なら誰でも『グレイの解剖学』を見れば、それが足の一部であって、足首ではないことがわかる」

「もし保険契約で『足』そのものが除外されていたのであれば、我々はビルとの契約から手を引いていただろう。我々とビルとの契約は、保険による補償を得ることが条件になっていたんだ」

「医師たちからは、彼が再びバスケットボールをプレイできるようになるという、我々を安心させるような見通しをまったく示してもらえていない状況だ」

 

筆頭オーナーのアーブ・レヴィンは「我々は弁護士の助言に基づいて行動している」とコメント。

ウォルトンとの契約について、クリッパーズが今後支払わなければならない金額については、

「決して取るに足らない金額ではない。しかし、もし必要になれば我々は負担できる…我々の財政基盤はしっかりしている」と話しました。

 

クリッパーズはウォルトンに対し、契約の残り期間で、推定250万ドルを払う義務があります。

125万ドルの保険金を現在(当時)の金利で運用すれば、このウォルトンへの支払いを賄うことができるという計算だったようです。

 

これらのやりとりからひとつわかるのは、クリッパーズがウォルトンに事実上見切りをつけていたということ。

訴状にも次のように記されていたようです。

「ウォルトンは現在、永久的かつ完全に障害を負っており、今後二度とプロバスケットボール選手としての職業を続けることはできない」

 

【ビル・ウォルトン②】

 

しかし、ウォルトンは復帰を諦めていませんでした。

 

「私の願いも、希望も、望みも、NBAでプレイし続けることだ。戻ってプレイするための戦いを、決して諦めるつもりはない。まだNBAでプレイできると自分では思っているんだ。私はまだ27歳なんだ」


そして、81年1月にウォルトンは再び左足の手術を受けことになりました。

これは左足そのものを再構築し、その後の長期的な回復プログラムにつながる大手術。

後年の報道や担当医のコメントによると、土踏まずを低くしたり、舟状骨を削る処置を行ったり…というものだったようです。

これにより、ウォルトンは78~79シーズンに続いて、キャリア二度目のシーズン全休となりました。

 

そして81年3月、①の訴訟が決着。

ロイズ・オブ・ロンドンが125万ドルをクリッパーズに支払うことで和解に至っています。

 

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ちなみにこのシーズン中、オーナーのレヴィンはチームの売却に動いていました。

それは上手くいかないんですが…